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〈日本の酷道〉渡った先は行き止まり! 岐阜県の山中で遭遇した“ナゾの吊り橋”…いったい誰がなぜ架けた?

2023/01/17

genre : ライフ,

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まさかの人物と遭遇することに…!

 車を停めて集落内を歩いてみる。しかし、なかなか人の気配がない。そんな中、一軒のお宅の前で作業している方を見つけた。すぐに声をかける。木天蓼橋から距離が離れているため、詳しい話を聞くのは難しいかと思っていた。もはや木天蓼橋の存在すら知らないのではないかと危惧していたが、話は意外な展開をみせる。

小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)

「すいません、木天蓼橋という橋のことを調べてまして、もしもご存知でしたら……」

「誰かに聞いて、うちに来たの?」

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 偶然にも声をかけたのは小津地区の自治会長を務める橋本利弘さん(78歳)で、木天蓼橋の再整備を進めているご本人だったのだ!

 これ以上、木天蓼橋に詳しい人はいないだろう。何とも嬉しい偶然だった。順を追って話を聞いていく。

 木天蓼橋が竣工した平成8年、橋本さんの前任の方が区長だったため詳細は分からないとしながらも、当時のことを話してくれた。

 小津トンネルが完成して使われなくなった旧道(町道)は渓谷の眺望が素晴らしく、観光地化して町おこしをする目的で木天蓼橋を造ったのだという。多くの観光客が訪れることを想定し、6000万円をかけて立派な橋にしたそうだ。

20年間以上にわたって放置されてきた木天蓼橋

 しかし、完成後は土砂災害等の影響もあり、ほとんど活用されることなく20年間以上にわたって放置されてきた。そのうち、旧道の一部が崩落してしまい、アクセスするのもままならない状態になっていた。

 小津地区は過疎化が進み、少しでも多くの人に訪れてもらって交流人口を増やすことが課題だったのだ。そこで、コテージやキャンプ場を備えた交流施設・月夜谷ふれあいの里を開設したが、周辺に目立った観光地がない。

 そうした状況の中、自治会長となった橋本さんは木天蓼橋に目をつけ、再び観光地として整備しようと5年ほど前から奮闘されているという。

 通行止だった旧道を整備して歩行者通行可とし、反対の北側からは自動車でもアクセスできるようにした。木天蓼橋の上に生えていた草木も撤去し、対岸には紅葉と桜の苗木を植えて鹿に食べられないように囲いも作った。今後、木天蓼橋周辺の木々を処理して渓谷の景色が見やすいようにし、木天蓼橋を渡った対岸で川の近くまで安全に下りられる道を整備したいという。