何かと対立しがちな細野晴臣と坂本龍一の潤滑剤だったYMO時代
そうした音楽、ヴィジュアル面のみならず、なにかと対立しがちな細野晴臣と坂本龍一の間に入り、バンドを継続、前進させるための潤滑剤としても大きな役割を果たした。<ぼく、人のあいだに立つのは得意ですから(笑)。べつに細野さんと教授が仲が悪いってわけじゃないんだけど、音楽家としてのエゴがそれなりに出てきますから。ただ、ぼくにももちろんそういうエゴはあるわけで、ま、難しいバンドだったと思います>というのは1998年の回想だ(『COMPACT YMO』徳間書店/著者 吉村栄一)。
YMOが当時まがりなりにも5年もの期間を活動できたのは高橋幸宏の存在があったからこそではないだろうか。
1983年にYMOが解散した以降、ソロ・アーティストとして活躍した高橋幸宏だが、21世紀に入る頃から、ソロ活動と並行してさまざまなバンド、ユニット活動を盛んに行っていくことになる。
そしてそれらの活動には必ず若い世代のミュージシャンを参加させていたことは注目すべきだろう。
高橋幸宏はなぜ若手ミュージシャンから慕われたのか?
2000年以降の高橋幸宏の周りにはいつのまにか多くの新世代のミュージシャンが集まるようになっていた。
高野寛、高田漣、ゴンドウトモヒコ、小山田圭吾、原田知世、テイ・トウワ、砂原良徳、LEO今井らはみな高橋幸宏にとってはひとまわり以上歳下のミュージシャンばかりだ。
しかし、これこそ高橋幸宏という人物の特筆すべき点だと思うが、若いミュージシャンたちと一緒にいる高橋幸宏の姿は自然体そのものだった。
ときおり、ライヴの打ち上げの二次会などにお供することもあったが、ご自宅近くの馴染みのバーで、彼らと談笑するその姿はいまでも強く印象に残っている。
若いミュージシャンたちに先輩風を吹かすことはもちろんなく、かといって迎合するわけでもなく、対等に気さくに接しつつ、ときには親身にアドバイスをしてジョークを飛ばしながら相手にとってよい方向へ導いていくというような風景を何度も目にした。
それは、ミュージシャン相手だけではなかった。
ぼくのような取材者に対しても、いつも気づかいをし、場をなごませてくれた。