1ページ目から読む
2/4ページ目

ギルガメシュの食卓

 さて、古代メソポタミアの食文化をもう少し広い視野でみていきましょう。現在のイラクとシリアにあたるメソポタミア地域は、もともとは塩分の多い不毛の湿地帯で、人々は塩害に強いなつめやしを栽培し、川魚を食べて生活していました。ところが灌漑・排水技術の伝来がイノベーションとなって、メソポタミア地域は一大農業地帯に変貌します。やがて人口が増え、シュメール、アッカド、バビロニアなど高度な都市文明が生まれ、約3000年にわたって繁栄しました。

 人工灌漑の恩恵を受けて、紀元前3000年頃にはメソポタミア全域で農耕栽培が行われていました。乾燥した高地の北部では小麦が栽培され、寒冷な冬に備えてりんごや果実が植えられていました。高温多湿の南部で栽培されていたのは、米、大麦、果樹、野菜、豆類です。農地に適さない荒地や休耕地では、羊や山羊、牛や豚などの家畜が飼育されました。鳥肉も食べられており、特にガチョウやアヒルなどの水鳥、野鳩やキジバトなどはごちそうとされていたようです。

 王宮で食された食料・料理の記録も一部残っています。紀元前700年頃、メソポタミア北部に栄えた新アッシリアで催された宴会では、牛の肩肉、魚のオーブン焼き、牛6頭分の食肉、肉の塊の塩漬け、ガチョウ10羽、アヒル10羽、キジバト100羽などが用意されていました。紀元前20~紀元前18世紀頃にあったマリ王国の宮殿文書には、植物油、ハチミツ、ゴマなどの調味料の記述が残っています。ウルクの王・ギルガメシュの食生活にかかわる直接的な記録はありませんが、これらに近い豪勢な食卓を楽しんだのではないでしょうか。

ADVERTISEMENT

ビヤ樽よ!

 古代メソポタミアの食文化を語る上で外せないのが、エンキドゥも楽しんだビールです。当時の人々は麦芽からビール醸造用のパンであるバッピル(ビールブレッド)を作り、そのバッピルを水と混ぜて自然発酵を促しビールを醸造していました。現在のビールとは違い、アクの強いにごり酒で、表面には麦の殻が浮いていました。アルコール度数も相当低かったようです。古代メソポタミア人は3度の食事すべてをビールとともに楽しむほどのビール好きだったと伝えられ、それを裏づけるようにこんな詩が残されています。

 ビヤ樽よ! ビヤ樽よ! 魂に至福をもたらすビヤ樽よ! 心を喜びで満たす高杯よ! 欠かすことのできぬゴブレットよ! ビールを満たしたグラスよ!(中略)私はビール作りと酌取りを呼び寄せよう! 車座に集うあなた方に、ビールをたくさんふるまうために! 何という喜び! 何という悦楽! 満足しきってビールの香りを吸い込み、この高貴な液をたっぷり口に流し込むと、心に歓喜が満ち魂は輝きに燃える。

(ルーヴル美術館付記番号5385番(アンリ・ド・ジュヌイヤック、ルーヴル美術館所蔵の宗教テクスト第20番)ジャン・ボテロ、松島英子訳『最古の料理』から)

 ビールは王や貴族階級だけでなく、庶民にも愛飲されていました。メソポタミア文明の後期には居酒屋文化も生まれ、人々は労働の後に立ち寄ったようです。「とりあえずビール」のかけ声で1日の疲れを癒やしていたのかもしれません。