「パンがなければ、ケーキ(正確にはブリオッシュ)を食べればいいじゃない」というセリフで有名な、18世紀のフランス・ブルボン朝の王妃、マリー・アントワネット。実際の彼女の食生活は、それほど豪華絢爛だったのでしょうか。
歴史料理研究家の遠藤雅司さんが主宰する「音食紀行」というプロジェクトでは、歴史的な文献をもとに当時の人々が食べていた「歴史料理」を再現しています。ここでは、そのレシピをまとめた『歴メシ!決定版』(晶文社)から一部を抜粋して、マリーや王たちが食べていた宮廷料理を紹介します。(全2回の2回目/古代メソポタミア文明編を読む)
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マリー・アントワネットの日常 謎に包まれた王妃の食事
18世紀、フランスの宮廷文化は最盛期をすでに終え、衰退の傾向にありました。そんななかにあっても華々しい宮廷文化のシンボルとして、そのドラマチックな生涯とともに語られる人物が、ブルボン朝の王妃マリー・アントワネットです。
マリー・アントワネットが言ったとされるフレーズに「パンがなければ、ブリオッシュを食べればいいじゃない」があります。これはデマというのが定説です。このセリフはフランスの哲学者、ジャン=ジャック・ルソーの自伝的作品『告白』6巻で、「ある王女」の言葉として引用されたものでしたが、ルソーはその女性の名前を明かしておらず、そもそも『告白』6巻の刊行時、マリーはまだ10歳になるかならないかの年齢でした。結婚もしておらず、ウィーンの宮廷で健やかに過ごしていたころで、ルソーの記述とは整合性がとれません。
また、マリーは1775年に、母のマリア・テレジアに次のような手紙を送っています。
「出産も婚礼もいっぺんにお祝いするはずなのですが、祝典はごくささやかなものになる予定です。お金を節約するためです。でも、一番大切なことは、民びとにたいしてお手本を示すことです。パンの値段が上がってたいそう苦しんでいるからです。でもうれしいことにまた希望が湧いてきました。麦の育ち具合がとても順調だったものですから、収穫のあとはパンの値下がりが見込まれているのです」
この手紙からは、節約を心掛け、民衆の生活に気を配る人柄が滲み、「パンがなければ~」の言葉とは正反対のマリーの姿が浮かび上がります。
マリー・アントワネットの食の傾向は、母マリア・テレジアとの10年にわたる往復書簡でわずかながら記されています。キナ・ワインという食前酒や滋養に富んだスープ、牛乳、ロバのミルクなどが登場します。キナ・ワインを除けば、どれも、健康に関わる料理や飲み物が挙げられています。また、菓子は本当に好きだったようで、出身国のオーストリアから取り寄せて食べていました。
マリーの食生活を知るヒントが、ヴェルサイユ宮殿内にあります。18世紀のフランスでは田舎風の生活を楽しむことが一種の流行となり、マリーも小トリアノン宮殿の北端に人工の村里(アモー)を作ります。ここには農場や菜園があり、牛、羊、ヤギ、豚、ウサギが飼われていました。大麦やイチゴなどの果物も栽培されました。この村里で取れた牛乳やイチゴを客人に振舞って一緒に味わうのが、彼女のおもてなしでした。
王室のしきたりや人づきあいに疲れた彼女は、ルイ16世からプレゼントされた小トリアノン宮殿でほとんどの時間を過ごしていました。気に入った人々を招き、お茶会や食事会を開いていたといわれています。
この小トリアノン宮殿での夕食会の記録が残っています。マリー・アントワネットの夕食会では、約50品目以上の料理が客人にふるまわれました。そこで出た料理は後ほど紹介しますが、まずはヴェルサイユの国王・王妃がどのような食生活を送っていたのか、そして、フランスの宮廷料理がどのように発展したかをみていきましょう。