1ページ目から読む
3/4ページ目

渡辺明名人相手にも使った「打診の手筋」

 詰将棋で、駒が成るか成らないかを打診する「打診の手筋」という手筋があるが、その応用だ。藤井がこの手筋を使うのは初めてではない。タイトル戦のデビュー局となった、2020年の渡辺明名人との棋聖戦五番勝負第1局でも使って勝利している。藤井はシリーズで一番印象に残った1手としてこの王手を上げている。

 将棋連盟の理事として現地に帯同している森下卓九段が「藤井さんが2手以上いっぺんに指したのと同じで、実に巧妙ですね」と感嘆した。とはいえ羽生の表情にあきらめの顔はない。羽生が奨励会員時代から付き合いのある、立会の島朗九段は「羽生さんは勝負への執念がすごいですから諦めませんよ」とつぶやく。

 昼食休憩後、羽生はひときわ高い駒音で飛車先の歩を突き捨て、桂頭に歩を突き出す。受けに使うべき歩を攻めに使って反撃したのだ。

ADVERTISEMENT

 苦しい局面で最善手を続けていても藤井相手に逆転はできないという勝負手だ。しかし、藤井は冷静だった。桂頭に歩を打たれ、玉頭に垂れ歩が残っても平然とし、銀や角で飛車を追い回されても慌てず逃げる。ここで反撃は息切れしてしまった。

「そんな筋があるんですね。全然気が付きませんでした」

 モニターに映る藤井の対局姿はとても落ち着いていて、とても20歳とは思えない。私はときどき彼が何歳であるか忘れそうになる。森下も「羽生さんは相手にやりたいようにやらせてから仕留めるのを一番得意にしていた。それを逆にやられている」と唸った。

 やがて、満を持して藤井は右桂を跳ね、自玉を顧みず猛攻する。藤井は守りの手は2手しか指していない。しかも金はすぐに玉から離れた。対して羽生は10手以上金銀を動かし、金銀4枚が玉に密着していた。にもかかわらず藤井玉のほうが安全だった。かくして藤井の完勝に終わった。

終局後の様子 写真提供:日本将棋連盟

 羽生は仕掛け直後に想定外の局面になったにもかかわらず、ほぼ最善手で対応した。あの玉上がりも、藤井以外の棋士だったらとがめられなかっただろう。藤井が強すぎたのだ。

 対局者は大盤解説会で挨拶を済ませてから感想戦に。まず序盤の飛車浮きの場面で、羽生は島に顔を向け、「そんな筋があるんですね。全然気が付きませんでした」と苦笑い。そうか、羽生さんも意表をつかれていたんだなと、なんだかほっとする。「それでも本譜は互角でしたよ」と島が言うと、「そうでしたか。まとめにくいと思ったんですが」。