同工場では、11人のベトナム人実習生が働いていた。実習生は11個のベッドが並ぶ大部屋で寝泊まりし、シャワーは1つしかなかった。外出が許されるのは週に1回で、同じ年に入国した実習生の代表者1人が、スーパーマーケットで全員分の食材の買い出しをした。休みは月に1回、あるか、ないかだった。
岐阜県岐阜市の縫製会社「エトフェール」に転籍
立ち上がったのは、グェンと同時期に入国した実習生だった。
庄内労働基準監督署に駆け込み、窮状を訴えた。グェンが働く縫製工場と同社役員は2019年6月に労働基準法第32条(労働時間)違反容疑で書類送検され、2020年9月には出入国在留管理庁と厚生労働省が同社の技能実習計画認定を取り消した。
劣悪な労働環境から解放されたベトナム人実習生らだが、実習先を失った。皆、多額の借金を背負って来日しており、技能実習ができないからと帰国するわけにはいかない。
実習生に「転職」は認められていないが、同じ職種・作業を学べる他企業への「転籍」はできる。技能実習継続を求めるグェンは2019年3月、岐阜県岐阜市の縫製会社「エトフェール」に転籍した。
作業場の入口にはタイムカードがあり、厚生労働省が作成しているベトナム語の最低賃金に関するリーフレットが掲示されていた。寮は民間の清潔な一軒家で、キッチンが2つある共用スペースと部屋が6つあり、シャワーが3つ、トイレも2つあった。
グェンは振り返る。
「働いた分だけ残業代が支払われ、手取りが20万円近くになることもあります。働く会社でこうも環境が違うのかと驚きました」
国産衣料品の自給率は2%弱
同社の内ケ島圭祐社長は40歳と若く、出身は岐阜県だ。
縫製業は岐阜の地場産業だ。戦後、岐阜県は日本有数のアパレル産地として発展してきた。バブル期にはDC(デザイナー・キャラクター) ブランドブームもあり、県内繊維工業の出荷額は4395億円(1991年)に達し、事業所数は2145社(1998年)にまで増えた。
だが、2000年代に入ると、中国製品を中心とする安価な商品が流通し、海外からH&MやZARAなどの低価格帯のアパレルブランドが相次いで日本国内に進出。国内でも卸売業者などを通さず、自社製品を海外の工場で生産するユニクロなどが勢力をつけた。
結果、岐阜県内の繊維業の工業出荷額は1464億円(2015年)まで減少。事業所数は430社(2019年)に激減した。
アパレル業の衰退は岐阜に限った話ではない。
前章で日本の低い食料自給率の話をしたが、衣料品も同じだ。