1ページ目から読む
2/4ページ目

 だが羽生にはまだ秘策があった。なんと打ったばかりの桂を成り捨てたのだ。

 この成桂を、銀で取ると歩が成る。玉で取ると桂がいたマス目に馬を作る。どちらのルートも難解で、見通しが立ちにくい。重大な選択を迫られ、藤井は2時間24分の大長考で封じ手にした。

2日目、封じ手を開封する立会人の森内俊之九段 写真提供:日本将棋連盟

 2日目、大方の予想を裏切り藤井は玉で取った。羽生は馬を作った後に飛車を出る。藤井は飛車の動きを封じるために角を打って受けたが、羽生は飛車を切って角を敵陣深く打つ。

ADVERTISEMENT

 銀を桂に変え、桂を捨て、飛車を角と変える。駒損をいとわない凄まじい猛攻だ。

とんでもない手が表示され、思わず「ひょえー」と声が出る

 ここで藤井に異変が起きる。封じ手にあれだけ考え、予想通りに進行したにもかかわらず動かなくなってしまった。藤井の肩が落ち、誤算があったことを隠すことができない。

 一見桂を打って受かりそうに見えるが、そこで馬を一路玉から離れる手が妙手。これでどうやっても攻めを振りほどくことができない。

 ちょうどその頃、私は現地の東京都立川市の「SORANO HOTEL」に到着した。ロビーで迎えの記者を待ちつつ、携帯中継を開いたその時、とんでもない手が表示され、思わず「ひょえー」と声が出る。

 歩頭に銀捨て! 銀を犠牲にすることで飛車と金が働くが、無償で銀を渡すとはなんという手を思いつくのか。控室に入り、副立会の佐々木大地七段と検討する。佐々木は冷静に局面を説明した。取った銀を玉の腹から打てば羽生優勢と。モニター越しに羽生を見ると、落ち着き払った表情で、動揺した素振りはまったくない。やがて羽生は持ち駒の銀をつまみ、藤井の勝負手は不発に終わった。

対局2日目には、髪の毛が逆立っていたことでも話題になった羽生善治九段 写真提供:日本将棋連盟

 この後は羽生の独壇場となった。

 慌てず、急がず、冷静に。攻めるだけでなく自玉にも目を配り、絶対に負けない手を選ぶ。藤井が放った攻防の自陣角にも正確に対応し、最後は桂を取りに歩を打ったのが手堅い決め手。入手した桂を王手で打ち込んで決めた。藤井がこれだけ大差で負けるのは一体いつ以来だろうか?

羽生は楽しそうに「そうかー。まずいですね」

 局後のインタビューで藤井は「封じ手で同玉か同銀で迷っていたんですけど、角を打たれる手が思っていたよりも厳しくて、ダメにしてしまったなあと思いました。桂で受けるのが自然なんですが、それが思わしくないことが見えていなかったので、角打ち以降はハッキリ苦しいかなと。読みの精度がたりなかったと思います」と答えた。

 別のホテルで行われている大盤解説会で挨拶してから感想戦。

 最初は雰囲気が重苦しかったが、検討が進むにつれ、会話も弾む。

 羽生は右手をタクトのように動かし、たん、たん、たん、と、将棋を指す手付きで床をたたく。

 藤井は左手で扇子をくるくる回し、ついで右手に持ち替えてまた回す。