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《棋士は見た》羽生善治は右手をタクトのように、藤井聡太は扇子をくるくると…“1時間超え”感想戦は「ふたりの世界」だった

《棋士は見た》羽生善治は右手をタクトのように、藤井聡太は扇子をくるくると…“1時間超え”感想戦は「ふたりの世界」だった

プロが読み解く第72期ALSOK杯王将戦七番勝負 #4

2023/02/14
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かつて角換わりの常識を変えたひとりの棋士のこと

 1990年11月9日、私は奨励会二段で、大広間の対局の記録係だった。この日はA級順位戦など対局が多く、藤井猛三段、木村一基三段、行方尚史初段らも記録係だった。

 午後5時半すぎ、記録を終えて控室に入ると、何人もの棋士が盤を挟んで検討に熱中している。A級の将棋かなと思って将棋盤を見ると、別室で行われていた王位戦予選だった。先手の森内はまだ20歳ながら谷川を破って全日本プロトーナメントで優勝しており、実力は鳴り響いていた。だが、後手の棋士は角換わり腰掛け銀同型を堂々と受け、銀桂交換して反撃し、絶妙の桂捨てで優位にたち、検討していた棋士を唸らせた。

 それは、本局の羽生の指し回しに似ていた。

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 まだウェブカメラもないため、私は検討している棋士に頼まれ、進行を見るために何度か対局室に入った。後手の棋士は26歳ながら対局態度が落ち着いていたことを覚えている。

 島朗九段はこの対局を「将棋世界」誌上で紹介して、〈これから先どんなに素晴らしい手順が現れるとしても、現代に新しい一ページを開いたパイオニアのこの一局より評価が上まわることはありえない〉と断言した。さらには著書「角換わり腰掛け銀研究」でも、〈この結果を目にした多くの棋士が新たな問題意識を持ち、同型が見直されることになる〉とつづった。

楽もせず多数派に流されもせず、後手でも攻める意識を持ち…

 森内に当時の話について改めて問うと、

「あの将棋は私が仕掛けを間違えまして、うまい桂捨てをやられて完敗でした。ですが、一番思い出深いのは、私が順位戦初参加のときに2回戦で対戦した将棋です。なかなか駒がぶつからず、歩以外の駒が駒台に乗ったのが午後10時すぎで、二転三転の大熱戦でした。最後は入玉されて負けました。確か終わったのが午前1時半を過ぎていたと思います(※午前1時43分終局、手数189手)」

 35年近く前の将棋なのに、まるで昨日指したかのように彼との思い出を述べた。

 この期のC級2組は、森内は8勝2敗で昇級できず、代わりに上がったのは同じ8勝2敗ながら順位上位の佐藤康光だった。

 楽もせず多数派に流されもせず、後手でも攻める意識を持ち、盤上では厳しく、盤外では優しく。そして、将棋連盟の野球チームの監督をするなど、皆から愛されていた棋士、それが中田宏樹九段だった。

2月7日、病気療養で休場中に亡くなった中田宏樹九段 ©文藝春秋

 中田-森内戦がきっかけで、後手が避けるべしと言われていた角換わり腰掛け銀同型が盛んに指されるようになる。やがて丸山新手や富岡定跡など、たくさんの新手や定跡が生まれた。中田はその後もいくつも新手を出し、皆が参考にした。

 現在は同型でもバランスタイプに変わったが、中田が果敢にチャレンジしたからこそ、現在の流行がある。棋士が残せるのは棋譜だけだ。中田将棋を忘れないでいただきたい。

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