岸田文雄首相は「サプライズ人事」の成功に満足していることだろう。次期日銀総裁に植田和男元審議委員(71歳)を選び、日銀関係者はもとより、メディアや市場をあっと言わせた。植田氏は超一流の経済学者であり、英語力も抜群。大規模金融緩和の理論の一部を考案した実績がある。若手時代は女性に人気があったことでも知られる。日本経済の舵取りを担う植田氏の素顔を探った。

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「20年前に主役だった人が戻ってくるのか」

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 日銀幹部は植田氏が日銀総裁に内定したことを知ると、意外そうにつぶやいた。

 植田氏は黒田東彦総裁と同じ東京教育大附属駒場高校(現・筑波大附属駒場高校)の出身で、黒田氏の7年後輩に当たる。東大理学部で数学を学び、経済学専攻に転じた。マサチューセッツ工科大(MIT)に留学し、30歳になる前に博士号を取得している。

植田和男日銀次期総裁 ©時事通信社

植田氏が考案した「時間軸政策」はアベノミクスでも継承

 植田氏は東大で浜田宏一氏の指導を受けた。浜田氏は後にリフレ派の一翼を担い、アベノミクスの誕生に大きな役割を果たした人物だ。1985年には、大蔵省の財政金融研究所に出向し、大平正芳元首相のブレーンの1人だった長富祐一郎氏に仕え、同世代の竹中平蔵氏と机を並べた。

 大きなステップとなったのは、1998年に日銀審議委員に就いたことだ。46歳の植田氏は最年少委員として、72歳で総裁に就任した速水優氏と直接向き合う立場になった。日本経済は金融危機の真っ只中にあり、デフレ不況にのみ込まれていく。日銀は金融緩和を迫られ、99年2月にゼロ金利政策を導入することになる。この時に政策効果を高める手段として、植田氏が考案した「時間軸政策」が使われた。米連邦準備制度理事会(FRB)の論文がきっかけで生まれたアイデアだったという。

2000年8月11日、1999年2月から続けてきたゼロ金利政策を解除することについて記者会見する速水優日銀総裁 ©時事通信社

「中央銀行が短期金利を低水準に長く据え置くと約束すれば、長期金利を抑制する効果が生まれる」

 こう主張する植田氏のアイデアを取り入れたのが、日銀企画局で金融政策の立案に携わっていた雨宮正佳氏だった。時間軸を重視する姿勢はアベノミクスでも継承されている。