なぜ田中はこれほどの先見の明を持てたのだろうか
一匹狼の彼が、なぜ、これほどの先見の明を持てたか。長男の俊太郎の見方は、こうである。
「うちの親父は、商売は全く分かってなかったと思いますよ。元々、大学を出て政治活動一本でやって、基本的に金儲けは不得意、できないですね。ただ、エネルギーや石油資源とか、何が、どのくらい、世の中で重要になるか、そういうのを見抜く感覚はあった。でも、それで、ビジネスやって儲けようと思わないし、一生懸命になれない」
普通、抜け目ない商人なら、再生可能エネルギーで一儲けを狙うはずだ。実際、今は太陽光発電へ参入が進み、詐欺事件も起きている。だが、田中の場合、金儲けそのものに熱中できない。逆に言えば、だからこそ、客観的に見られたのだろう。
もっと面白いのは、あれほど反原発だった田中が、推進派の大御所と個人的な親交を結んだことだ。そして、新たな原発の開発に、支援の手を差し伸べた。日本原子力研究所の理事などを務めた西堀栄三郎である。
戦前、京都帝国大学の理学部を卒業して、今の東芝に入社、真空管の開発に携わった。戦後は、統計的品質管理を普及させ、第一次南極観測越冬隊、エベレスト登山隊の隊長も務めた。この異色の技術者の西堀が、晩年手がけたのが、液体燃料の原子炉だった。
従来の軽水炉がウランを燃やすのに対し、これは、トリウムを用いた熔融塩炉だ。レアアースの副産物、トリウムを熔融塩に溶かし、燃料に使い、これならメルトダウンも防げる。また、固体燃料でないから、燃料の成型加工がいらず、コストも下がる。今も米国、欧州、中国などが開発を進めている。
田中の遺品の中に、熔融塩炉の報告書があった。軽水炉は、燃料のウラン確保に予断を許さず、濃縮も海外に委託せねばならない。トリウムなら、世界中に広く分布し、資源量も大きいという。これなら、欧米のウラン・メジャーの頸木を逃れられるかもしれない。
田中は、何回か西堀を招き、トリウム熔融塩炉の勉強会を開いた。また、政界の理解を深めるため、国会議員も紹介している。
その西堀は、1960年代、日本原子力船開発事業団の理事を務め、原子力船「むつ」の建造に関わった。ところが、「むつ」は、後に試験航行中、放射線漏れ事故を起こす。彼は、「わしは戦犯だから」と一時、原子力から離れてしまった。