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“ちょっぴり不便な場所の駅”として生まれた「水戸」

 ともあれ、こうして駅前を少し歩くだけで、水戸駅の立ち位置がなんとなく見えてきた。那珂川から高台に登ったところに水戸の町の中心たるお城があって、そこからまた坂を下った低地に駅がある。

 さらに駅の南西側には千波湖という大きな湖もある。

 もともと千波湖はいまよりももっと東側、つまり駅のすぐ南側まで広がっていた。戦前に食糧増産の名の下に埋め立てられて田んぼになり、それが戦後改めて宅地に変貌していまの形になったものだ。つまり、水戸駅はお城の鎮座する高台の崖下、千波湖のほとりに設けられたということになる。

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 水戸駅が開業したのは、1889年のこと。小山~水戸間を結んだ水戸鉄道の終着駅として始まった(現在のJR水戸線)。

 千波湖岸の湿地帯の上に設けられ、すぐ目の前にはお城の土堤。そうした周辺環境がゆえに、駅の周囲には掘立小屋の休息所が旅人向けにあるほかには、人力車の待合小屋があるくらいだったという。

 お城の目の前の駅というのは便利そうに思えるが、城下町からは離れていて町の人々にとってはちょっぴり不便な場所の駅だったのかもしれない。

市街地に向かって歩いてゆくと…

 さて、そろそろ駅から中心市街地に向かって歩いてゆこう。かつての水戸の城下町、そして今の水戸駅前の中心市街地は、お城の西側の高台上にあるようだ。

 まず水戸駅前からは、国道50号の坂を登り、そのまま道なりに国道を歩けば、いつの間にやら水戸の中心市街地を歩くことになる。この国道が、水戸の町の目抜き通りといっていい。

 駅前からの坂を登ると、水戸中央郵便局やホテル、金融機関などいかにも県都の中心市街地らしい建物が見えてくる。

 その合間には小さな個人店やらコンビニやら、いろいろ入っているような雑居ビルやら、ちょっとした規模の町の駅前ならあるようなものがすべて揃っている。

 そして駅から10分も歩けば、京成百貨店も見えてくる。さらにその先、国道から少し脇道に入ると、酒を飲ませる小さな店が並ぶ、いわゆる“夜の街”ゾーンへと続く。

 

“夜の街”ゾーンの源流はどこから?

 この国道沿い、駅に近い方から町の名前を辿ると、南町・泉町・大工町といったところだ。南町は江戸時代までは裏通り的な存在だったが、駅が開業して中心市街地と駅を結ぶ通りが整備されて発展した。

 いちばん西側にある大工町は古くからの花柳街。“夜の街”なのはそうした時代の名残というわけだ。それらに挟まれた泉町は、地場の百貨店で江戸時代半ばからの歴史を持つ伊勢甚百貨店、京成百貨店の前身である志満津百貨店などが軒を連ねるザ・商業地であった。