基礎だけが残った空き地、流行発信地も…進む中心市街地の空洞化の跡
ただ、どこの地方都市でもそうであるように、水戸でも中心市街地の空洞化が進んでいる。
その現実は、町中を歩くだけでも充分に伝わってくる。まず、駅前からしてそうだ。ペデストリアンデッキでそのまま国道を渡った先の、いわば超一等地。そこにかつての建物の基礎だけが残った空き地がある。
ここには、かつて水戸西武(西友リヴィン)があったが、2009年に閉店。解体されたまま、跡地の再開発が手つかずのままに放置されているというわけだ。
中心市街地の泉町の伊勢甚百貨店も、2003年に閉店してその跡地を京成百貨店と入れ替わる形で再開発ビルに生まれ変わった。
ほかにも中心市街地というのにところどころに空き地があって、人通りの多さに反して“空洞化”の現実の厳しさを教えてくれる。
また、駅からの坂を登った先にはサントピアというファッションビルがあったが、こちらも2007年に閉店。しばらく建物がそのまま残され、2016年に解体されていまは空き地になっている。
サントピアは、単に水戸の町中の商業ビルという以上の存在だったようだ。なにしろ、1978年に開店した当時は渋谷パルコに次ぐ日本で二番目のファッションビルだったという。
70年代後半、水戸の街にはいくつもセレクトショップやアパレルショップがオープンし、ちょっとした流行発信地だった。
たとえば、福田屋洋服店として市内で開業した小さなアパレル店は、サントピアへの出店などを経て成長。いまではLOWRYS FARMなどを展開するアパレルメーカー(アダストリア)として全国区の知名度を得るまでになった。サントピアから泉町まで歩くだけで最新の流行ファッションがすべて揃うというくらい、県都らしく水戸は最先端を走っていたのだ。
しかし、バブル崩壊以降、徐々にそうした店は姿を消していき、サントピアからもアパレルショップは撤退。最後は百円ショップとアニメイトが入っているくらいになり、歴史に幕を下ろした。
では「水戸」自体が廃れているのかというと…?
もちろん、こうした状況は水戸の町そのものが廃れているということとはまったく違う。
これまたどの地方都市でもそうであるように、郊外のロードサイドの大型商業施設が、これまでの中心市街地の商業地の役割を担うようになったと言うだけのこと。地方の人口減少が問題になる中で、水戸市は高度経済成長期に増やした人口がいまもほぼ横ばいのまま続いている。