『ネット右翼になった父』(鈴木大介 著)講談社現代新書

「イデオロギーの違いで、家族や、もともと仲のよかった友人関係が断絶してしまうのを、僕はすごくもったいないと思う。この本を書き終えた今、一番強く感じていることです」

 ルポライターの鈴木大介さんは、『ネット右翼になった父』で、生前は避け続けていた父の姿に正面から向き合った。

 末期の肺腺がんだった77歳の父が亡くなったのは2019年。緩和病棟で父の手を握りながら看取ったが、死を哀しめなかったという。晩年の父は近隣諸国や生活保護受給者を蔑むような言葉や排外思想を口にしていた。貧困問題などを取材してきた鈴木さんにとって、そんな父の言動は受け入れがたかったのだ。

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「なんで父親がよりによって、自分が最も忌避し、憎悪すら感じている〈ネット右翼〉になってしまったんだろう。そう思って戸惑い、イラ立っていました」

 父の死の2カ月後、鈴木さんが晩年の父についてウェブメディアに寄稿した記事は、親の右傾化に悩む人たちの共感を得た。だが、母親は、こう首を傾げた。「何か違う。お父さんは、大介が言っているようなものではなかったよ」と。

 戦中生まれで典型的な昭和のサラリーマンだった父は、好奇心旺盛で、ハングルを勉強し、退職後は中国雲南省に語学留学をしたこともあった。パソコン教室や同世代の男性向けの料理教室を開くなど、地域活動にも熱心だった。

「みんながどうかではなく、自分で考え自分で選べ」という父の言葉は、鈴木さん自身にも刷り込まれている。

 父は本当にネット右翼だったのか? 鈴木さんは腹をくくって検証していった。遺品のノートパソコンを開くと、ブラウザのブックマークは保守系のまとめサイトやYouTubeの嫌韓嫌中の動画。また、家族や親戚、父の友人たちから、どんな人間だったのかを聞いてまわった。父は高校時代、当時盛んだった学生運動には迎合せず孤立していたこともあるなど、相当に天邪鬼でへそ曲がりだった。

 そうして様々な父の姿を発見した鈴木さんは、やがて、〈父をネット右翼にしたのは、僕自身だった〉という結論に達する。

鈴木大介さん

「父はどこにでもいる戦中生まれのじいさんでした。僕は、自分が作りだした何重ものバイアス越しに父をずっと以前から見ていたと気づいたんです。ネトウヨを憎むあまり、本当の父の姿を見失ってしまった。ほんの少し角度を変えてみたら、昔と変わらず愛すべき父がそこにいたはずなのに」

 第6章では、かつての鈴木さんのように悩みを抱えている人に「同じ轍は踏んでほしくない」と、家族の分断を解消するためのプロセスを紹介している。

「大切なのは、まず自分を知ることです。そうじゃないと相手の実像もきちんと把握できない。そのうえで無用な分断なら、ないほうがいいじゃないですか」

 出版前、本書のゲラ(校正用に印刷したもの)を家族ぐるみで確認した。皆から指摘が入ったゲラの束は、山のようになった。

「正直、母や姉にとっては、楽しい作業ではなかったでしょう。でも、あの時間をへて、僕たち家族は、初めて同じ温度で父を語ることができるようになりました」

 読者からは、右傾化の問題をとことん追及して欲しかったという意見をもらうことがある。

「でも僕自身は、これでやっと父についての誤解を解き、責任を果たせたとホッとしている部分もあるんです。物書きとしても、息子としても。僕は、ようやく父の実像に向き合うことができたんです」

すずきだいすけ/1973年、千葉県生まれ。文筆業。主な著書に、ルポルタージュ『最貧困女子』や自身の障害をテーマにした『脳が壊れた』など。2020年、『「脳コワさん」支援ガイド』で日本医学ジャーナリスト協会賞大賞を受賞。