1ページ目から読む
2/5ページ目

 そうした球磨川流域を「1000年に1度の洪水」が襲う。東日本大震災も「1000年に1度の津波」と言われたが、中武さんは再び「1000年級の災害」を渦中で経験することになった。

 2020年7月4日、梅雨前線によって発生した線状降水帯が、特に球磨川の上流部で激しい雨を降り続かせた。前夜から夜通し情報を集めていた中武さんが危機意識を高めたのは午前2~3時頃だ。真夜中から激しくなった雨が、一段と勢いを増していた。

 それまで八代市の防災関係者が判断の基準にしてきたのは市街地にある「萩原」観測所だ。しかし、中武さんは中流部の「大野」観測所のデータも見ていた。八代市域の最上流地点からさらに10kmほど上流にある。中流部の水位上昇は時間差で下流部の水害につながるから、近未来を予見させるポイントだった。その「大野」の水位が午前2時頃から急激に上昇を始めたのに、上流部ではさらに激しい雨が降り続いていて、「マズイぞ」と直感した。午前4時前のことだ。

ADVERTISEMENT

市街地にある球磨川の「萩原」観測所(八代市)

 球磨川は八代市の市街地に流れ込む前に、合併地区の旧坂本村を通る。坂本地区は球磨川の両側に急峻な山が迫り、川沿いの集落では家を山裾に張りつかせるようにして建てていた。洪水は即浸水につながるリスクがあった。

続く水位上昇。そして大きな問題が起きた

 そこで坂本地区には午前4時3分、避難指示を出した。市役所内には「まだ暗くて避難所も開けていないのに避難指示を出していいのか」というような雰囲気もあったが、中武さんは「すぐに避難指示を出す。市長に電話をしてほしい。間に合わなくなる」と言い放って、作業を進めた。

 ただ、問題があった。熊本地震で本庁舎が被災して使えなくなり、防災部門は合併地区の鏡支所(旧鏡町役場)に仮住まいしていた。ここから坂本地区へ避難指示を出そうにも、防災無線が使えなかったのだ。合併前は市町村によって通信方式がデジタルとアナログの違いがあり、まだ統一されていなかった。このため鏡支所からでは坂本地区には肉声で「避難」を呼び掛けられない。中武さんは坂本支所に連絡を取り、同支所から地区内に放送してもらった。

 その後も水位上昇は続く。明け方には下流も危険だと判断した中武さんは午前6時40分、全市に避難指示を出した。が、この時も問題が発生した。なんと指示が伝えられなかったのだ。