防災無線による屋外放送は、豪雨でかき消されがちだ。屋内には聞こえにくい面もある。「何を言っているのか分からない」と逆に市役所に苦情が殺到して混乱を引き起こす恐れがあった。そこで携帯電話のエリアメールを使って避難指示を知らせることにしていたのだが、防災担当の職員がいくら操作しても流せなかった。
実は、八代市役所のサーバーは熊本地震の教訓で分散設置していて、ホームページや電子メールのシステムは人吉市に置いていた。人吉市は球磨川でも上流部にある。下流部の八代市とは光ケーブルで結び、球磨川の橋も経由していた。ところが、球磨川の橋は何本も流されてしまう。光ケーブルも切断・流出してインターネットもメールも使えなくなっていた。中武さんは午前5時頃から通信状態が悪くなったと感じていたが、なぜそうなるのか分からなかった。周囲の職員も首を傾げるばかりで、人吉市にサーバーが置かれていようとは、防災に関わる職員には誰にも知らされていなかったのである。
結局、県から市に出向していた職員が「県が代わりに操作できる」と気づいて、県からエリアメールを流してもらった。時に午前9時50分。八代市街地の「萩原」観測所で水位がピークとなるのは午後0時20分だったので、なんとか間に合った。
結果として堤防も越水せずに済んだが、水位は5.28mとそれ以上高くなれば堤防自体が持たなくなり得る「計画高水位」まであと8cmに迫っていた。
なぜ「奇跡」は起きたのか
球磨川では多くの地点で観測史上最高の水位となった。このため人吉市や球磨村を中心に1000年に1度の想定に迫る浸水範囲となり、流域全体では50人の犠牲者が出た。八代市は市街地こそ無傷で済んだものの、坂本地区では全75集落のうち31集落が氾濫に呑まれ、死者4人・行方不明者1人という事態になった。
だが、中武さんは被災後に現地調査に訪れた学者から「もっと犠牲者が出ても不思議ではないほどの災害規模だった。誤解を恐れずに言えば、これだけで済んだのは奇跡だ」と言われた。坂本地区のある球磨川中流部では、宅地を嵩上げした地区ですら2~4mも浸水していたのである。
どうして人的な被害を拡大させずに済んだのか。中武さんは「とにかく逃げる」という住民の防災意識が高かったからだと確信している。
住民は具体的にどのような行動を取ったのだろう。洪水前年の11月、中武さんが防災講話で訪れた地区で聞いてみた。