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<熊本豪雨災害>2度目の「1000年に1度の大災害」元自衛隊隊長の避難指示は住民に届かなかった…熊本県人吉市で何が起きていたのか?

東日本大震災から12年、元隊長が「逃げて」と訴える理由#3

2023/03/11

genre : ライフ, 社会

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 防災無線による屋外放送は、豪雨でかき消されがちだ。屋内には聞こえにくい面もある。「何を言っているのか分からない」と逆に市役所に苦情が殺到して混乱を引き起こす恐れがあった。そこで携帯電話のエリアメールを使って避難指示を知らせることにしていたのだが、防災担当の職員がいくら操作しても流せなかった。

 実は、八代市役所のサーバーは熊本地震の教訓で分散設置していて、ホームページや電子メールのシステムは人吉市に置いていた。人吉市は球磨川でも上流部にある。下流部の八代市とは光ケーブルで結び、球磨川の橋も経由していた。ところが、球磨川の橋は何本も流されてしまう。光ケーブルも切断・流出してインターネットもメールも使えなくなっていた。中武さんは午前5時頃から通信状態が悪くなったと感じていたが、なぜそうなるのか分からなかった。周囲の職員も首を傾げるばかりで、人吉市にサーバーが置かれていようとは、防災に関わる職員には誰にも知らされていなかったのである。

熊本地震で被災して使えなくなり、球磨川水害後に完成した八代市役所の新庁舎

 結局、県から市に出向していた職員が「県が代わりに操作できる」と気づいて、県からエリアメールを流してもらった。時に午前9時50分。八代市街地の「萩原」観測所で水位がピークとなるのは午後0時20分だったので、なんとか間に合った。

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 結果として堤防も越水せずに済んだが、水位は5.28mとそれ以上高くなれば堤防自体が持たなくなり得る「計画高水位」まであと8cmに迫っていた。

なぜ「奇跡」は起きたのか

 球磨川では多くの地点で観測史上最高の水位となった。このため人吉市や球磨村を中心に1000年に1度の想定に迫る浸水範囲となり、流域全体では50人の犠牲者が出た。八代市は市街地こそ無傷で済んだものの、坂本地区では全75集落のうち31集落が氾濫に呑まれ、死者4人・行方不明者1人という事態になった。

 だが、中武さんは被災後に現地調査に訪れた学者から「もっと犠牲者が出ても不思議ではないほどの災害規模だった。誤解を恐れずに言えば、これだけで済んだのは奇跡だ」と言われた。坂本地区のある球磨川中流部では、宅地を嵩上げした地区ですら2~4mも浸水していたのである。

 どうして人的な被害を拡大させずに済んだのか。中武さんは「とにかく逃げる」という住民の防災意識が高かったからだと確信している。

 住民は具体的にどのような行動を取ったのだろう。洪水前年の11月、中武さんが防災講話で訪れた地区で聞いてみた。

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