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 午前5時半、少し明るくなって川を見たら、もう家の下まで水が来ていた。

家までつかるとは考えていなかった。しかし…

 急いで車を少し高い場所に動かし、近所の人を起こす。家が浸かるとまでは考えていなかったが、万一のことを考えて、近所の人と一緒に裏山へ続く道沿いにあるお宮へ逃げた。作業着に着替えて、長靴を履き、免許証など大事な物が一式入っているバッグを持った。冷蔵庫からペットボトルの飲料も手にして、念のため1日分の着替えも持ち出した。落ち着いたものだった。

 しかし、球磨川の氾濫は「想定外」の規模に拡大していく。高い場所に移したはずの車が流される。家が1階の鴨居の高さまで浸水して、流木が突き刺さる。娘は「もっと山の方に逃げよう」と言ったが、逆に土砂災害の危険性が高まるので、川の状況を見ながら判断することにした。ここに集まっていた住民は、その後に自衛隊のヘリで救出される。

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 下代瀬では結局、住民が住んでいる6軒のうち4軒が浸水したが、全員が高い場所に逃げて無事だった。

球磨川に架かる中谷橋。上流から流れてきた木がここに引っ掛かり、山方信介さん宅にも突き刺さった(八代市坂本地区)

「一気に海が押し寄せる津波と違い、川の様子を見ながら行動を決めていくのがここのスタイルです。昔からそうしてきました。だから、想定外の洪水だった今回も皆で無事に逃げられたのだと思います」と山方さんは話す。土地には土地にあった逃げ方があるのだろう。

 下代瀬では人間と川との距離感が関係しているように見える。「メディアは球磨川のことを暴れ川と言いますが、私達は代々、川と一緒に暮らしてきました。かつては舟の渡しがあり、親父と釣りをし、大人に守られながら子供が川を泳いで横断する行事もありました。庭のようなものだったのです。だから、あれほどの氾濫が起きても、川を恨みに思うことはありません」。

「とにかく逃げて」と訴えていきます

 壊滅状態になった山方家は取り壊さざるを得なかった。敷地は復旧工事の会社に貸しており、山方さんは八代の市街地に住んでいる。下代瀬集落では嵩上げ工事が行われる予定で、「それが終わったら息子は下代瀬に家を建てて戻ります」と山方さんは言う。そしてまた川と一緒に暮らしていくのだろう。「洪水から逃げる」という行為も含めて川と共にあるのかもしれない。

 中武さんは「あの日、坂本地区では多くの人が自分で考え、自分で逃げました。逃げるという行動がいかに大切か、分かっていた住民が多かったからではないかと思います」と話す。

 中武さんは今春で危機管理監の任期が切れるので、八代市役所を退職する。

 だが、防災には生涯、携わっていきたい考えだ。

「これからも『とにかく逃げて』と訴えていきます」。何度も何度もそう話していた。
 

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