会合を持ったのは下代瀬集落など3集落で作る老人会だ。15人ほどが集まり、真剣な表情で聞いていただけでなく、「ここに逃げれば安全」などと住民同士で確認し合っていたのを中武さんは覚えている。
会合を催した中心人物で、下代瀬集落の自治会長を務める山方(やまがた)信介さん(73)は「3年ほど前、球磨川流域の4集落共同で自主防災組織を結成するなど取り組みを始めていたので、中武さんを招いて話を聞いたのです」と経緯を説明する。
昔から高かった防災意識が集落を救った
坂本地区は球磨川が貫いて流れているせいもあり、昔から防災意識が高かった。下代瀬もそうだ。加えて自主防災組織を結成することになり、「まずは身近な火災予防から始めて、様々なことに取り組んでいこうと話していたところでした」と山方さんは語る。やはり山方さんが会長を務め、下代瀬など10集落が加わっている「中谷地域振興会」でも下代瀬が自主防災組織を結成して以降、次々と結成されて、全集落で組織されていた。
球磨川が氾濫した前日の2020年7月3日夜も中谷地域振興会で集まり、「7月中に消防職員を招いて防災の催しをしよう」と日程まで決めた。
振興会の集まりが終わり、山方さんが帰宅したのは午後9時頃。会議が始まった2時間ほど前にはポツンポツンとしか降っていなかった雨が本降りになっていた。ビールと焼酎を飲み、午前0時に就寝した時には「バケツを引っくり返すような雨になっていました」と話す。
この地区で住民が判断基準にしているのは、少し上流にあるJ-POWER・瀬戸石ダムの放流量だ。「毎秒3000トンなら球磨川の横を走る国道から少し河原に下りたところにある畑が浸かる程度。5000トンなら川の向こうを走るJR肥薩線の鉄橋の下に触れる。これぐらいはたまにありましたが、それでも坂本地区内では1箇所で少し浸かる程度でした」と山方さんは説明する。J-POWERの公表文書では就寝直前の放流量は1000トンとされている。
午前3時頃、同居している孫が「じいちゃん。雨の音がうるさくて寝られない」と起こしにきた。川を流れる音もかなり激しかったが、真っ暗だったので水位が見えなかった。
山方さんが記憶している球磨川の氾濫は過去2回だ。1965年、国道が50cmほど浸水したが、山方家は約1.5m嵩上げしていたので無傷で済んだ。1982年には坂本地区でも一部低い地区が浸かったものの、山方家の周辺は道路にも水が上がらなかった。
このため、どんなに酷い洪水でも家までは浸からないと思い込んでいた。が、今回は違った。