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明確な“意志”を表明しなければ物事は形にならない

 一方、都の対応には疑問が残る。批判を受けた後、平和祈念館建設が凍結されたままであること。さらに、祈念館開設のために、300人をこえる戦災当事者たちから空襲体験を聞き取ったというのに、その証言ビデオを死蔵させてしまったこと。祈念館での展示以外の用途では基本的に使えない、ということらしい(死蔵については新聞報道されたこともあり、最近、証言者やその代理人へ都が確認をとりはじめ、100人超については利用許可が出たようだ)。

 意見がぶつかるテーマについては、議論を尽くし、最後には誰かが責任を引き受けて、明確な“意志”を表明しなければ物事は形にならない。なのにそういう道は避ける。ばっさり切り捨て、なかったことにしてしまったり、フタをしてしまう。そしてどこからも突っ込みの入れようのない、綺麗な表面だけを見せようとする。このような仕掛けの処置を、近年、ずいぶん見ないだろうか。

 
東京大空襲・戦災資料センターでは、東京大空襲の記憶を語り継ぐために、様々な展示が行われている ©石川啓次/文藝春秋

空襲で家族を亡くし、傷ついた当事者たちには一銭の補償も出ず

 センターでは、今のところふたたび公営化の道を模索する考えはないそうだ。私はそのあたりの話を聞いているとき、昔、ハワイ・真珠湾のアリゾナ記念館に行った日のことを思い出した。細かな展示内容は、正直、もう覚えていない。しっかり印象に残っているのは、たしかビジターセンターだったかの建物に足を踏み入れたときのこと。エントランスに入るや、グーンと不気味な音が鳴った。真上を見ると、日の丸を付けた飛行機模型が吊ってある。爆撃態勢に入る日本軍爆撃機が今まさに奇襲をかけようとするシーンを、来場者に、“意志”をもって見せつけていた。

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 展示方法の如何以前に、そもそも東京大空襲を過去の話にするにはまだ早い。戦場で戦った軍人たちには戦後、恩給が出ている。親族にまで出ている。ところが戦場と変わらない空襲の火の海で家族を亡くし、傷付いた当事者たちには一銭の補償もなかった。生き残っても、家族が全滅して孤児になった子も大勢いる。その人々の心からは、今も空襲の炎が消えていない。