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最後の力をふりしぼって言った一言

 小さな足が私の腰をけっている。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。敦子、涼子。さぞこの母がうらめしかろう。私は一瞬この火の海の中で、輝一もいっしょに親子そろって死んだほうが、どんなに楽だろうかと思った。そのとき輝一が、「おかあちゃん熱いよ、赤ちゃんもっと熱いだろうね、だいじょうぶ」と声をかけてきた。私はぎょっとした。「輝一だいじょうぶ、赤ちゃんおとなしくしているから、僕は男だものもうちょっとがまんしてね」「ウン赤ちゃんだいじょうぶならいいんだ。どこへもやらないでね……」輝一は苦しげに私に訴えている。力もつき果てそうな私に輝一の声は神の声にも聞こえたのです。

 自分も火にあぶられているのに、たった4歳で、妹たちを気遣うお兄ちゃん。けれど夜が明け、火が収まると、妹たちはもう、「眠っているときのように2人並んで死んでいる」。輝一君も身体は冷え切り、固くぐったりとしている。母は焼け残った布団をもらい彼をくるんで抱き、救護の人からか、熱いお茶をもらい、口移しに飲ませると、彼は「ううっ」と声を上げた。母は「ああ輝一はだいじょうぶ死にはしない。輝一がんばろう」と一縷の望みをかけて全身を摩擦し続ける。ドラマや映画であれば、ここから彼だけは生還するだろうか。

 でも輝一は最後の力をふりしぼったのでしょう。薄く目をあけ、小さな声で、「おかあちゃん」とただそれだけ言ってもう息をしなくなりました。

 これが現実だった。一晩で3人の子供を失った女性。2か月後、5月25日の山の手空襲で、今度は自分の父母も失う。小さな子に芽生えた妹への愛も、母の子を思う愛も、戦争はまるごと簡単に焼き尽くしてしまう事実。そして生涯消えない罪悪感。女性はそれを伝えながら、最終盤、こうしめくくる。

 戦争はしてはならないもの、今後絶対おきないようあらゆる努力をするのが生きているもののつとめでありましょう。そしてそうしなければあの時代、何の不平も言わず唇をかんで死んだ人があまりにかわいそうです。

 何も罪もなく、何の文句も言わず、熱さの中で亡くなった子どもたちに祈ってほしいと言いたくて、女性は筆をとったのではないはないだろう。女性はつとめを課すために重い重い筆を持ち上げてくれたのだ。平和しか知らない我々へ、ひたすら、考え続けるつとめを課すために。

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(文中敬称略)