がん闘病中の妻・千恵さんと幼い娘との暮らしを綴ったノンフィクション『はなちゃんのみそ汁』。単なる「涙の闘病記」とは異なる、深い家族愛、そして「食といのち」を描いたエッセイです。テレビドラマ化・映画化を通じてますます大きな反響を呼び、国境を越えて多くの人に感動を与え続けています。
著者の安武信吾さんに、「毎朝みそ汁を作る」という千恵さんと娘のはなさんとの約束や、本の誕生秘話についても語っていただきました(全3回のインタビュー。#2、#3に続きます)。
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「これはもう、安武さんが書けってことじゃないですか」
──『はなちゃんのみそ汁』は、ある新聞記事から生まれたと聞きました。
安武 千恵は生前、「早寝早起き玄米生活~がんとムスメと、時々、旦那~」というタイトルで闘病生活をブログに記していました。ある日、朝日新聞の記者が「ブログを読んで感動しました。同業他紙の垣根を越えてお付き合いさせてください」と、訪ねて来たんです。「取材じゃない」と言いながら、いつもメモをとっていましたし、僕も新聞記者なので、「これは絶対記事にする気だな」とは思いましたが、何も言わないんですよ。3、4カ月通ってくる間にすっかり仲良くなっちゃって、「記事を書いてもいいよ」と僕が根負けしました。
──どんな記事だったのですか。
安武 「小さな手、朝の台所 亡きママと『約束』」(2009年6月14日西部朝刊)という見出しで、「がん闘病中の母が子どもに何を残せるかと考え、5歳の娘にみそ汁づくりを教える」という内容の記事でした。大きな反響がありまして、それを読んだ文春の編集者から「本にしましょう」と声をかけていただいたんです。
──当初は、安武さんが書く予定ではなかった?
安武 振り返るのがつらい千恵の闘病部分は、記事を書いた朝日新聞の記者に頼む予定でした。ところが、東日本大震災が起き、その記者が被災地応援で本の執筆どころではなくなってしまったんです。編集者に「これはもう、安武さんが書けってことじゃないですか」と言われ、覚悟を決めました。
──本として残すこと自体は前向きだったのですよね。
安武 千恵がどんな生き方をして、どれだけ娘を愛していたかを文字に残し、いつか娘に読んでほしいという思いはずっとありました。それが夫として、父としての僕の務めだと思っていたんですよね。記憶はだんだん薄れていくので、千恵が亡くなって3年というのは、書き始めるのにギリギリのタイミングでした。