『はなちゃんのみそ汁』が出版された後、予想をはるかに超えた大きな反響があり、全国から講演依頼などが相次いだ著者の安武信吾さん。テレビドラマ化や映画化によって話題を呼ぶにつれ、批判や中傷も受けるようになったといいます。私生活を世間へオープンにすることに、戸惑いや悩みはなかったのでしょうか。千恵さんが亡くなって今年で10年。安武家はどのように変わったのか。そして変わらないものは(全3回のインタビュー。#1が公開中です)。
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「この映画を、はなちゃんの嫁入り道具にしたいんです」
──映画化を決めた理由は?
安武 出版後、たくさんのお話をいただいたのですが、はじめは全部断っていました。大手の映画会社は企画書だけを送ってきて、僕に会わないまま同意を求めてきました。そうしたやり方は、業界では当たり前なのかもしれませんが、僕は心が動かなかった。そんな中、自宅近くの焼き肉屋さんで偶然出会って意気投合した村岡克彦さん(映画『はなちゃんのみそ汁』プロデューサー)は、出会って9カ月後に初めて映画化の話を切り出してきたんです。
「はなちゃんが、『私のお母さんってこんなに素敵な人だったんだ』と思えるような映画を、僕に作らせてください」って。
これだけで殺し文句なのに、さらに「この映画を、はなちゃんの嫁入り道具にしたいんです」と言われ、もうこの言葉だけで(映画化を)即決しました。
──映画が公開され、さらに有名になることへの、不安や心配は感じませんでしたか?
安武 プライバシーへの配慮や影響を考える前に、千恵の思いを娘に残したい、母に愛されていたという事実を伝えたい、という気持ちが強すぎたんだと思います。想像力の欠如と言われればそれまでですが、映画が話題になった先のことはまったく考えていませんでした。
──批判や中傷もありましたよね。
安武 インターネット上で「死んだ妻の代わりに娘を台所に立たせるなんて信じられない。ひどい父親だ」などと書き込まれて落ち込んだこともあります。はなは中学生になって学校のことをあまり話さなくなった時期もありました。突然泣き出したり、自分の部屋に閉じこもったり。不登校にもなりかけました。
「台所が私を強くしてくれた」
──それでも、講演に行くなど、積極的に活動を続けているのはなぜですか。
安武 確かに批判や中傷も多いですが、それ以上に力強く温かい応援の声をいただくからではないでしょうか。千恵の思いを、はなや僕を通して伝えていく、言い換えれば、千恵の思いを新たに紡いでいく作業をしていることに、僕もはなも誇りと喜びを感じているのも大きいと思います。
千恵が亡くなり、父一人、娘一人になったあの日以上のつらさはありません。「台所が私を強くしてくれた」と言うはなは、心を許せる親友もできて、笑顔を取り戻しました。