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ひらりさが『エルピス』佐野亜裕美と考える、「ハラスメント」「泥沼の友人関係」「キャッチーなラベリングの功罪」

『それでも女をやっていく』対談

genre : ライフ, 社会

note

 一方で、職場で新人時代に受けたパワハラエピソードや、ペアリングまで買っていた同性の友人に彼氏ができて暴発した話とかはかなり書きづらかったです。「自分にも落ち度や正しくない部分もあったんじゃないか」「っていうか明らかにあったときもある」という話なので。だって、職場のハラスメントの話すら、「いや、お前が仕事できなかっただけでは?」と言われたら「まあそうなんですよね……」と認める余地がある。でもそこにはちゃんと、構造上の正しくなさもあって、それを書く必要は見えてるんです。自分の中の「いや、お前が悪いのでは?」への恐怖を乗り越えるのにかなり時間がかかりました。

 おそらくそうした潜在的な防御反応から書かずにいたことがたくさんあったんですが、連載の終盤で、大学院ももうすぐ終わるという2022年の夏に33歳の誕生日を迎えたんですね。そこで「誕生日おめでとう! せっかくだから厳しいこと言うけど、文章でいい顔するのやめたら?」と諭してきた友人がいて(笑)。それがあってウェブ連載の最終回に、新人時代の職場で起きた加害と被害のことを書くことに踏み切り、本の書き下ろしでも、母親との関係ですとか、ずっと書けないと思っていたことを書けました。

 

友情でトライもエラーも許されない

佐野 トライアンドエラーの過程が書かれている本だなと思うんです。世の中では、恋愛のトライアンドエラーは許されるけど、友人関係におけるトライもエラーも、あまり許されない感じがします。すごく乱暴な言い方をすると、恋愛での失敗談は笑い話にできても、特に同性の友人とのトラブルを打ち明けると、たとえば「そこの距離、見誤っちゃうんだ」とヤバい人みたいな感じになっちゃうというか。一対一の人間という意味でいうと、性別がどうであろうと、友情であろうと恋愛であろうと、あまり変わらないことのはずなのに……。ドラマでも友情の決裂が起こるのは恋愛が絡んだときが多いですし、そういう形でしか破綻が描かれない。

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ひらりさ ありがとうございます。別媒体でこの本の刊行にあわせて、『ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた』の著者である鈴木綾さんと往復書簡の連載をしているのですが、綾さんもこの本に「友情の失敗」を書いたことを面白がってくれていました。〈「友達破局」の描写はポップカルチャーで御法度に等しい。だからこそ、「友達」と別れることになると、私たちは正しい言葉を持っていないし、心の準備が全くできてない。そもそもそれを友人と「破局」あるいは「別れ」と言ってもいいのか、私たちはためらう。〉と書いてくれて、確かにそうかもと思いました。

 ジェンダーやセクシュアリティをめぐる自分自身の葛藤を書くうえで、「友達破局」レベルの泥沼になった友人関係を振り返り、その関係性のなかの、典型的な「友達」にも「恋人」にも定まらないあいまいさを私なりに言葉にしてみたらどうなるか、というのは意識したことかもしれないです。

 

キャッチーな言葉でラベリングすることの功罪

――明確な言葉で可視化される問題もあれば、ラベリングが反発を招くこともありますよね。「女」を取り巻くラベルを見つめ直す作業を通して、何かハッとしたことはありますか?

ひらりさ ネーミングが効いて問題が可視化されている例は本当にたくさんあります。特にフェミニズムは、これまで意識にものぼらなかった性差別を、言葉にすることで発展してきた歴史がある。セクシャルハラスメントだってそうですし、ここ最近だと、MeToo運動やマンスプレイニング、ギャラリーストーカーなど、挙げればいろいろなものがあると思います。

 ただ最近は、「キャッチーな言葉でラベリングすることの功罪」もあるなと思っていて。『それでも女をやっていく』ウェブ連載時に最も反響があったのは、出身校である東京大学のことを「『ほとんど男子校』な世界」と書いた初回でした。このときは、反発もすごく多かったんです。2023年の私が読み返すと、「中高一貫男子校出身」をステレオタイプ化しすぎている点に反省はたしかにあった。やはり私自身がラベリングをしながら書いていることに起因する反発もあったのだろうと。「女」以外のラベル……ジェンダーやセクシュアリティを決めつける物言いから、毒親、メンヘラといったタームまで、とにかく断定的な物言いには気をつけて書いたんですけど、難しいですね。

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