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フィクションの制作は難しくなる

ひらりさ 基本的にクリエーターは作品を独立したものとして差し出しているのは理解しつつ、やっぱりわたしもどちらかというと制作者インタビューを読んでしまうほうです。それは「作品の理解が深まる」「作品を知るきっかけになる」メリットもあるんだけど、究極のところ、脚本家やプロデューサー本人のパーソナリティを補助線にして、自分のフィクション理解力を補うような部分もある。それが、クリエーターやスタッフの実生活と作品の同一視に行きつき、同じレイヤーで両者を受け止める人がいるのはわからなくもないです。

佐野 個人の物語はとても強いけど、強くなりすぎている部分があると思います。これはファンダム文化の影響もある気がしていて。たとえばアイドルの活動を通して、表現者としてのステージ上の彼らと、その裏側にいる生身の自分、それぞれが一体のストーリーとなって強固なファンダムが築かれているように見えることもあります。観客側も表現の背景にある“人格”を読み取ろうとするというか。

 そういう意味でも、『エルピス』の脚本が書かれた2017年からフィクションを作る難しさはもう一段階上がったなと痛感しています。

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「自己開示」をした最大の理由

――『それでも女をやっていく』の場合は、文章の先にひらりささんがいて、まずは本人の実体験として読まれることになると思うのですが、実話とフィクションの線引きについては、どんなことを考えてきましたか。

ひらりさ 先ほどお話しした「徹底的に自分のことを書いてみるという手法」は、社会学の分野にある「オートエスノグラフィー」という研究手法にも影響を受けています。本を読んだ人から「書くのしんどくなかった?」という感想をいただくことが多いのですが、徹底的に自分の経験や主観に向き合うのって、自分を「観察対象」として距離を置かないとできない。だから今回、書いたものと自分の間にはふしぎと距離感があります。

 前提として、私自身がそもそもフィクションを書けないというのはありますが、フェミニズムの話は、フィクションも、実体験に基づく語りもどちらもたくさんあっていいと思っています。「物語になるような取るに足る出来事」ではないことに目を向けていく必要には、実話に基づく語りの方が向いているのかなと感じています。大ヒットした小説『82年生まれ、キム・ジヨン』が、小説でありながら精神科のカルテという形をとったのも、細かい部分を執拗に書いていくにはああいう形にならざるを得なかったのではと思うんですよね。

 

 今回の本で自己開示をしたのは、ひとつのケーススタディーというか、書き手の自分にとってそれが必要だった側面もある一方で、読者にとっての「叩き台」的なイメージで差し出しているんです。そういう意味で、「辛かったんですね」と私に貼りつけた感想を言われるよりは、『82年生まれ、キム・ジヨン』的な感じで、色々な解釈で読まれるといいなと思っています。だから亜裕美さんが、「エッセイとして」や「実話として」という言葉ではなく、「記録」や「物語」という言葉で本書を評してくださったのがとてもうれしかったんです。ちなみにAmazonだと「人生論」カテゴリに入っています(笑)。

佐野 人生論なんですね(笑)。この本に書かれていることは、りささんの一部だとは思うんですけど、トライアンドエラーをしてきたからこそ見えることや分かること、言えることがあるんだとあらためて感じました。そしてそれを言語化することも開示することも大事だなと。あと、単純にすごく面白いですしね。センシティブな話題も出てくるのでやや乱暴な言い方かもしれませんが、それでも面白いってとても大事なことで。

 りささんがこれまでで最大級の覚悟をもって、アカデミックなものとエッセイの間、中間という意味ではなく、そのはざまで揺らぎながら書かれた戦いの記録は、とても面白いです。

ひらりさ トライアンドエラーの書と言っていただきましたが、最終章で取り上げたロクサーヌ・ゲイというハイチ系アメリカ人のフェミニストによるエッセイ集『バッド・フェミニスト』の趣旨は、あえて自分の正しくない部分を語りながらもフェミニストだと名乗っていこうということだと思っています。私はそれを途中まですごく頑張ってやろうとして、最終的にこの本は「フェミニストをまだ名乗れないんです」という話で終えました。「正しくなくてもフェミニスト」でいいんじゃないかと。

撮影=平松市聖/文藝春秋

それでも女をやっていく

ひらりさ

ワニブックス

2023年2月6日 発売