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「おじさんになりたい」に怒られた

 少し話が変わりますけど、「女」を取り巻くラベルを介した自己開示がこの本の一つの核になった背景には、佐野さんが過去にハラスメントを受けたときの気持ちをFacebookで投稿されていたのを読んだ体験が、無意識に影響している気がするんです。その後Twitterに佐野さん自身が転載して、さらにウェブメディアの記事にもなり、大きな流れが生まれていました。あれは勇気づけられました。

佐野 そのときはそれで正しいと思っていたけど、いま振り返ると、私が「おじさんになりたい」と書いた「おじさん」というのもある種のラベリングなんですよね。あの頃、TwitterのDMや引用リツイートで結構怒られたんです。「おじさんって一括りにして、おじさんになれば楽になるって、おじさんにだっていろいろあるんだよ」と。もちろん私が伝えたかったことの本筋とは違うし、そんな文脈では書いていないんですけど、「おじさん」にカギカッコがついてしまう感じへの反応を見て、それはそれで一つの解釈だよなと思いましたね。

ひらりさ まさに「女というもの」を巡る葛藤があらわれた投稿であり、言葉だったと思います。外形的に女であることをやめるという手段をとって、当時はそれでいいと思ったけど、やっぱりそうではなかったという受け止めも含めて、私は影響を受けているなと、読み返して思いました。

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 これまでに書いた本は、劇団雌猫名義のものも、個人名義で最初に出した『沼で溺れてみたけれど』も、基本的に他人の話を聞いてまとめたものです。でも佐野さんの投稿や、MeTooを含め、世の中の「女性が自分の話を語っていく」流れを見ているなかで、徹底的に、自分のことを書いてみるという手法をとってみました。

 

オンエアより先の「開示」は想定外

――ドラマやエッセイなどの作品と作り手の距離感についてはどうでしょうか。『エルピス』の場合は、制作者インタビューを読むと、冤罪のテーマが出てきたきっかけやテレビ局の社内政治の描写などから、浅川恵那や岸本拓朗(眞栄田郷敦)に佐野さんをモデルとして投影する人もいたかもしれないなと。

佐野 どうしてもテレビ局が舞台だしTBSを辞めたことも含めて、私の物語として重ねやすいんですけど、違うことはいっぱいあって、物語と現実は別ものだと思います。実はオンエア前に、私が奔走して渡辺あやさんの取材を組んでもらったんです。そこであやさんが、私との顛末を全部話してしまったんですよ(笑)。

 私がなかばライフワークとして冤罪のルポルタージュや死刑囚の日記を読んだり、裁判の傍聴に行ったりしていたこと、TBSからカンテレに移籍するまでの経緯。「あなたは何者か」と問われ続け、長い時間をかけてそういうことを2人きりで話しながら、『エルピス』ができるまでのストーリーがオンエアより先に開示されることになりました。これは私にとって想定外のことだったんです。

 

――想定外だったんですね。参考文献にあげられた実在の複数の事件や、ある政治家を思わせる描写もあり、フィクションに現実が入りまじる表現の仕方はドラマ全体を通して印象的でした。いま冤罪事件とその報道を、個人の弱さの克服の物語とともに描いたことが芸術選奨文部科学大臣新人賞では評価され、インターネットでもさまざまな声を呼んで、昨年最大の話題作になったと思います。

佐野 少なくとも2人の話や私個人の話が、もう1本のストーリーとして『エルピス』に重ねられるのは、自分にとってあまり本意ではありませんでした。ただ、これほど反響があったこともないので。現実と地続きの物語を作ることの大変さをあらためて感じましたね。

 ドラマは、物理的にどうやって撮るかということも含めて、作家とプロデューサーが共同作業をしながら作っていく部分が大きいんです。テレビ局で働く女性を主人公にする以上、どうしても私の考え方や物事の捉え方は雑談も含めて参考にする部分はあると思います。だから、私であって私ではない。こういった経験をすることは二度とないと思いますし、「放送前にインタビューを読んだからドラマを見た」という人もいたので、良くなかったとも言い切れないんですけど。