係員は、目の前にいるのがどんな女かわかっていなかったのだ。
「こういうことをしてはいけない」というのを教えていきたい
「包丁ですか、私、そんなの(刃を)握っちゃいますよ。ケガしてもいいんで、振りまわすと危ないんだとわからせないと。私が握って血が出れば『ね、痛そうでしょ』と言えるじゃないですか」
「え? じゃあ大丈夫……なんですね」
これで係員を突破し、2度の面接を経て雇い入れにこぎつけた。面接でも、高野に告げたそうだ。
「あんたがもし包丁振りまわしたら、私は握るからね。私はその包丁を握って、人を傷つけたら痛いこと、手から血が出ることを証明する。私はあんたのことを自分の子どもみたいに思って受け入れるつもりだ。警察呼ぶとかじゃなくて、こういうことをしてはいけないというのを教えていきたいんだ」
高野からは、そんなことを言う人には会ったことがないと驚かれたらしい。廣瀬の強みはマニュアルには載っていない自分のことばを相手にぶつけられることだと僕は思う。その方法は、目ヂカラに物を言わせ心と心をぶつけ合う正攻法。何かのはずみで自分が包丁を手にしたら本当に握る人だ、と感じたから高野は信用したのだ。
あの高野を立ち直らせた社長なら…
入社した高野は周囲の心配をよそに、包丁を振りまわすことなくまじめに働き始めた。高野の抱えている闇が孤独であることをいち早く見極めた廣瀬が、社員たちになじませることに力を注いだことが功を奏したのだ。すると、高野の行いが品行方正とまではいかなかったが許容範囲に収まっていたことで、保護観察所の廣瀬を見る目が変わってくる。
「保護観察所の地区担当者から信用されたことが大きかった。“あの高野を立ち直らせた社長”ってことになってスムーズに受け入れができるようになりました」
『Chance!!』が発行されるたびに応募者がたくさん現れ、2年もすると毎月のように出所者を迎えに行くようになってきた。長続きしない人もいるけれど、大伸は地元を代表する協力雇用主になっていく。実績ができてくると、あれほど冷たくされたハローワークまで「なんとかそちらで引き受けてもらえないか」とていねいに頼んでくるようになった。
「ほかでは受け入れてもらえそうにない人も、大伸なら雇ってくれるだろう、みたいになっていきました。ダメな子はどこへ行ってもダメなんで、過大評価されても困るんだけどね」
そう言いつつも、頼まれると断れない姉御肌。2020年代に入ると、採用内定者の出所ラッシュも起きてきて、号によっては『Chance!!』への広告掲載を見合わせなければならないほどの人気企業になっている。
「いまでは(採用の)一般募集はしなくなり、社員の出所者率が高いことが会社の特色になっちゃいましたね。そうそう、うちの社員旅行っておもしろくて、必ずホテルを借り切りにするんです。なぜかわかります?」
酔っぱらってケンカが起きるからだろうか。
「そんなの、うちでは日常です。そうじゃなくて入れ墨やタトゥーが入った従業員がたくさんいるから、宿ごと借り切らないと温泉に入れないの」
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