一条ゆかりさんの最後の長編作品である『プライド』(2003~2010)。「いま」と「リアル」を表現してきた漫画家、一条ゆかりさんに、ジェーン・スーさんが自分の味方であり続けるための心持ちと実践方法を聞きました。母親との確執や創作への姿勢、自身の結婚・離婚について語ったインタビューを『週刊文春WOMAN 2023年春号』より抜粋して紹介します。
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高校在学中、一条は16歳で貸本漫画でデビューを果たした。貸本屋とは、いまはほとんど見かけることもなくなったが、図書・雑誌などを期限を決めて有料で貸し出す業種であり、当時は貸本用に制作されていた漫画が存在した。
プロとしての一歩を進んだ一条は、授業中はおろか、帰宅後の家事手伝いが終わると、朝の5時までひたすら漫画を描いた。
「土曜日は徹夜ができるから嬉しかったの。学生と漫画家でまさに、朝と夜との二毛作!」
そう言って、一条は笑った。
好き嫌いがハッキリしていたせいで、地元では浮いた存在だったという。
「ちょっとでも人と変わったことをすると、よくある田舎のやり方で噂三昧ですよ。私にとっては最悪の環境でした。周りからは、ずいぶん不良に見えていたみたい。勉強もスポーツもできたのに、この性格だから。不良の男の子とも仲がよかったけれど、舎弟にしていただけなのよ」
舎弟は冗談だとしても、不良性が高いもの、タブーとされるものに興味を持ち、本当に悪なのかを自ら確かめにいく節が一条にはあったようだ。
堅い仕事以外に偏見をもっていた母は、ことあるごとに漫画を軽蔑した。漫画の社会的地位が低い時代の話とはいえ、屈辱以外のなにものでもない。それでも、一条は漫画を描き続けた。
「母に認めてもらいたいという美しい話ではなく、私は母をめったくたに、ぺしゃんこにしてやりたかったの。許せなかった。母のプライドを維持するために、なぜ私が嫌な思いをしなければいけないのかって。本当に腹を立てたけれど、子どもが怒ったところで力もない。だから、いまに見てろという気持ちでやるしかない」
1967年、集英社の少女漫画誌『りぼん』が催した第1回りぼん新人漫画賞に、初めて商業誌に投稿した作品で入賞。翌年、18歳で漫画家のキャリアを再スタートさせる。
高校では、常に上位2桁以内の成績をキープした。母親に文句を言わせたくない一心だった。