きれいごとに対する強い嫌悪
「この先も、どうせ周りが文句を言って私を汚したりするに違いないから、絶対に自分で自分に汚点をつけてはいけない。どこまでも自分を正しくかわいがってやろうと思ったんです」
なにがあっても漫画のせいにはされたくない。向かい風が吹くたび、一条は決意を新たにしたのだろう。
とは言え、親の理不尽を恨みながらも健やかな自尊感情をもつこと、自分の可能性をひとつも断たないことの重要性に10代半ばにして気付いていたのは、慧眼としか言いようがない。
「私はわりと客観的な性格なんです。たとえばデビュー当時の少女漫画は、名もなく貧しく美しくの主人公がいじめられて、御曹司が助けるような話の全盛期。だから、そういう都合のいい話が嫌いな私の感覚がウケるはずがないと思っていました。かといって、世間に合わせる気もなくて。一緒にスポーツ漫画をやろうと声を掛けてくれた編集者もいたんですけどね。『巨人の星』、『あしたのジョー』、『アタックNo.1』が大人気でしたから」
新人なら、喉から手が出るほど欲しい連載の誘い。しかし、描きたい題材ではなかった。3日間時間をくださいと編集者に頼み、一条は考え抜いた末に断った。
「スポーツ漫画の、ファイト~! ドンマ~イ!っていうのが大嫌いで。部活でなまじっかスポーツをやっていたから、私が描いたら、失敗した人に『おまえのせいで2位になったじゃねぇか、ふざけるな!』ってなっちゃうしね」
一条には、きれいごとに対する強い嫌悪がある。
「自分のポリシーにかけて、人が『裏』だと思っていることを100%『表』にして描いてきた気がするの。きれいごとを言うぐらいなら、汚いことを言いたい」
一条が描く一流の「リアル」には、人の心の清濁もあることを忘れてはならない。確実に存在はするが隠して然るべしとされる腹の底を、要所要所で、「これが現実だ、人間だ」と浚って描いてきた。