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 3月28日付読売は霊術師と歴史家の「犯人は悪漢でない」「いや悪漢である」という見解を紹介した。

 3月28日付東朝社会面コラム「六面鏡」は「大久保の美人絞殺事件は意外の辺より犯人が挙がるらしい」と書いた。意味は不明だが、捜査員の間にも犯人像が錯綜していたことがうかがえる。

 106歳まで生きた国文学者で事件当時、東京朝日の記者をしていた物集高量は「百三歳。本日も晴天なり」(1982年)でこう書いている。

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「そのころの新聞っていいかげんなものだったんですよ。悪いことをしたら極悪非道。もう鬼のように書かれてね」

「悪いことをした人の顔写真も適当なものなんですよ。新聞社はいつも人相の悪い人の顔写真を集めてね。悪いやつが出てくると、その中から選んで『こいつは出歯亀しそうだからこれにしよう』なんて新聞に掲載するんですよ。いいかげんなもんでしょ。これは明治40年ごろの話ですよ」

 そのままではないとしても、大筋ではその通りだったと想像できる。

「豪胆な婦人中より年若く眉目うるわしい者3名を選んで雇い入れ…」警察の“おとり作戦”

 もちろん、警察も手をこまねいていたわけではない。新宿署長までが変装(といっても制服以外を着てということのようだが)して街に出た。4月2日付報知朝刊にはそうした捜査の内容が「探偵隊の大活動」として詳しく載っている。

 刑事が大挙して街へ出て「不審者」の探索に当たるだけでなく、次のような作戦も。

 豪胆な婦人中より年若く眉目うるわしい者3名を選んで雇い入れ、紅粉を施させて、一人はひさし髪(明治末から大正にかけて女学生らに流行した束髪)、海老茶はかまのハイカラ姿となし、一人は丸まげに東コート(女性用の和服コート)の装い。もう一人は野暮ないちょう返し(若い女性のまげ)に黒じゅす(黒いサテン)のえりを掛けた双子木綿(光沢のある綿織物)の着物姿にそれぞれ変装させた。日没後、深更に至るまで大久保付近をあちこちと徘徊させ、距離を置いて見え隠れに1名の密行巡査を付け、もし途中で何者かが婦人に戯れるようなことがあれば、直ちに巡査が飛び出していやおうなしに引き捕らえようという計画。いわゆる“おとり政策”も実行しつつある。

「出歯亀」逮捕後の4月9日付時事新報には、おとりだったと思われる「女探偵」の写真が掲載されているが、そこでは4人になっている。

おとり捜査に従事したと思われる「女探偵」たち(時事新報)