女性をのぞき見したり、わいせつ行為や性犯罪を犯す男の代名詞になっていた言葉「出歯亀」。そのルーツとなった事件が、1908年に起きた「出歯亀事件」だ。
妊娠中の若い女性が銭湯帰りに暴行・殺害されたこの事件。捜査は難航し、警察は美女を集めわざと夜道を歩かせる“おとり捜査”まで行ったが、犯人逮捕には至らなかった。そんな折――。
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「大久保の殺人犯捕る」
事態が一変したのは事件発生から約半月後の4月5日。警察発表だったと思われる。5日発行6日付の報知、國民の夕刊と都新聞が最も早いが、比較的分かりやすい報知の記事の要点を見よう。
大久保の殺人犯捕る 犯人は同村内の植木職 加害当時の模様を語る
(警視庁は)先月31日、嫌疑者として東大久保409、植木職兼とび職、池田亀太郎(35)を引致し、森田、宮内両警部が厳重に取り調べたところ、ついに4日になって犯人であることを自白するに至った。
「植木職兼消防夫」としている新聞もあるが、いまでいう消防団の団員のようなものだろう。報知の記事は「犯人は湯屋覗(のぞ)き」の中見出しで捜査の経過を述べる。
「犯行動機は怨恨とは思えず、学生か色情狂の一時の出来心に相違ないだろうと目星をつけ…」
ゑん子の死の状態と日常から推定すれば、犯行動機は怨恨とは思えず、学生か色情狂の一時の出来心に相違ないだろうと目星をつけ物色中、亀太郎が湯屋のぞきの色情狂で、しばしば付近の湯屋をのぞき回り、湯帰りの女の後をつけることなどがあったことを探知した。先月31日正午ごろ、本人が休みで自宅にいたところを新宿署に引致。厳重に尋問したが、少しも要領を得なかった。脅したり叱ったりして白状させようとしたが、容易に真実を吐露せず、わずかに4~5回、大久保付近で湯帰りの女性を襲い暴行しようとしたが、その都度、被害者が声を上げて泣き叫んだため、目的を遂げることができなかったと申し立てた。とりあえず違警罪(現在の軽犯罪)で拘留10日に処して取り調べを続行。証拠を突き付けて尋問を重ねたところ、4日午前9時、ついにゑん子惨殺の一端を自白に及んだ。
「史談裁判」は「検事の聴取書は4月5日午前4時30分、新宿警察署で作られていて、異様なものを感ずる。連日昼夜兼行の取り調べの果て、4月4日の深夜に自白するに至り、警察官の聴取書を作り、急いで未明に検事を呼んだものとみられる」と書いている。
この見方が正しいように思う。「脅したり叱ったり」という程度の取り調べだったのか。当時の警察にも新聞にも被疑者の人権は頭になかっただろう。報知の記事は「惨殺の模様」の中見出しで事件当日について供述内容を記す。この行動が後で問題になる。