「出齒龜にもやはりここで會(会)つた。大して目立つた程の出齒でもなかつたやうだ。いつも見すぼらしい風をして背中を丸くして、にこにこ笑ひながら、ちよこちよこ走りに歩いてゐ(い)た。そして皆んなから、『やい、出齒龜。』なぞとからかはれながら、やはりにこにこ笑つてゐた。刑のきまつた時にも、『やい、出齒龜、何年食つた?』と看守に聞かれて、『へえ、無期で。えへへへ。』と笑つてゐた」
25年後の“再犯”
1922(大正11)年6月1日付読売にその後の亀太郎の記事がある。「十五年の苦役を終へ(え)て 出齒龜さん 服役中に母を失ふ 身寄の世話で神妙に植木屋をしてゐたが 此頃行方不明」の見出し。
「小菅監獄に苦役していたが、正直に勤めたのでだんだん刑も軽くなり、おしまいには官舎の植木いじりをして暮らしていたが、一度富山監獄に移され、それからまた豊多摩へやってきてちょうど15年目。当年一世のいわゆる『出歯亀』の名を響かせた亀太郎も49歳という寄る年波で、この3月に仮出獄となったのである」
この通りだと正味14年余り服役していた計算になる。その間に母親は病死。出獄後は人の世話で同じ植木職の家に居候。「ぼつぼつおとなしく稼いでいるらしい」と記事は結んでいる。
しかし、それでは終わらなかった。「老痴漢捕へて見れば 往年の『出齒龜』 長刑後もやめぬ湯屋のぞき 警察もあきれる」。そんな見出しの記事が報じられたのは、それから11年後の1933(昭和8)年5月5日付東朝夕刊。
3日夜11時ごろ、牛込区(現新宿区)原町の某湯屋をのぞき込んでいる老人がいるのを密行中の早稲田署員が取り押さえた。これは、牛込区河田町13、某方同居、植木職・池田亀太郎といい、その昔、大久保方面で入浴帰りの人妻を暴行、絞殺し、いまなお「出歯亀」の名で世人に記憶されている有名すぎる痴漢と判明。係官もあきれて拘留処分に付したが、獄中生活の10年間、特赦出獄の恩典にも、若いころからの忌まわしい性癖は清算しきれず、その後、淀橋署でも一度湯屋のぞきで捕らえたことがある。2~3年前、頼りにする養女に死なれてからは全くの孤独で、ただ湯屋のぞきのみを楽しみに生きているらしい。往年その代名詞となった特徴の歯は既に全部医師の手で抜き去り、歯抜け老人となっている。
同じ日付の読売にも同内容の短い記事が掲載されている。25年後の“再犯”。これが「出歯亀」の消息を知る最後のニュースになった。その後の動静は分からない。
【参考文献】
▽「新明解国語辞典第六版」 三省堂 2005年
▽森長英三郎「史談裁判」 日本評論社 1966年
▽「新宿区史」 1955年
▽物集高量「百三歳。本人も晴天なり」 日本出版社 1982年
▽ 小峰大羽編「東京語辞典」 新潮社 1917年
▽長谷川伸「私眼抄」 人物往来社 1967年
▽伊藤整「日本文壇史12(自然主義の最盛期)」 講談社 1971年
▽夏目漱石「漱石全集第12巻書簡集」 漱石全集刊行会 1919年
▽橋川文三「日本の百年4明治の栄光」 ちくま学芸文庫 2007年
▽羽太鋭治・澤田順次郎「變態性慾論」 春陽堂 1915年=「編集復刻版 性と生殖の人権問題資料集成第29巻」(不二出版、2000年)所収=
▽大杉榮「大杉榮全集第3巻」 大杉榮全集刊行会 1925年