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連載明治事件史

女湯をのぞき目にとまった“26、27歳の美人”を暴行・殺害…「畜生に劣る色餓鬼」性犯罪者の代名詞となった男の犯行とは

女湯をのぞき目にとまった“26、27歳の美人”を暴行・殺害…「畜生に劣る色餓鬼」性犯罪者の代名詞となった男の犯行とは

「出歯亀事件」#2

2023/03/19
note

「そのうちに出齒龜事件といふのが現は(わ)れた」

「それが一時世間の大問題に膨張する。所謂(いわゆる)自然主義と聯(連)絡を附けられる。出齒龜主義といふ自然主義の別名が出來(来)る。出齒るといふ動詞が出來て流行する」

 夏目漱石も、ずっと軽い意味だが手紙の中で使っている。1908年8月3日の弟子・小宮豊隆への手紙。

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「小説はまだかゝ(か)ない。いづれ新聞に間に合ふ様(よう)にかく。中々(なかなか)あつい。田舎も東京も同じくわるい人が居るのだら(ろ)う。此(この)分では極楽でも人殺しが流行(はや)るだらう。僕高等出齒龜となつて例の御嬢さんのあとをつけた。歸(帰)つたら話す」=「漱石全集第12巻書簡集」(1919年)=

 文豪も使うほど言葉が広まっていたのだろう。そんな中で「出歯亀主義」を表す「デバカミスムス」を学術用語にしようとした法医学者もいたが、ほとんど広まらなかった。

女性暴行致死という凶悪犯罪が“軽薄”に受け止められた理由

 この事件を振り返って感じるのは、女性暴行致死という重大な凶悪犯罪なのに、報道も法廷もどこか終始軽薄なことだ。なぜなのだろう。

 池田亀太郎が冤罪だった可能性はあると思う。しかし、立証はもう不可能だ。そして、もし本当に彼の犯行だとしたら、女湯のぞきから暴行致死に発展した犯罪のうち、後半が忘れ去られて、前半ののぞき部分だけが人々の関心に残ったような気がする。

 時は日露戦争後。大国ロシアに勝った歓喜の後に日本人を襲ったのは「不思議な無力感の弥漫(びまん=気分が広がる)だった」「日本社会の底には、むしろどす黒い停滞と無気力のムードが濃厚であった」=橋川文三「日本の百年4明治の栄光」(1978年)=。

「満州の出歯亀」。北澤楽天は「満州」を日露米が狙っているという漫画にした(「東京パック」より)

 特に目立ったのが、「出歯亀事件」でも浮上した学生の堕落。社会の停滞と無気力の広がりは、ついにこの1908年10月、明治天皇が国民に精神を引き締めることを求めた「戊申詔書」を出すほどだった。

 そんな中で起きた「出歯亀事件」はやはり時代の気分を反映していたといえる。思想家、田岡嶺雲は雑誌「江湖」第4号(1908年7月号)の「江湖評論」の「出齒龜論」で警察とメディアを批判している。

1つ気になるのは…

 1つ気になるのは、当時の新聞とはいえ、亀太郎の知的能力を疑っているような記事が散見されること。例えば初公判の記事。報知は「容貌極めてまぬけて見え」と記述。國民は「亀太郎はとんまよ薄馬鹿よとあざけられるだけあり」と書いた。

 思い当たるのは1915年に出版された羽太鋭治・澤田順次郎「變(変)態性慾(欲)論」という研究書。中程度の知的障害者の犯罪として「女湯及び便所のぞき」を挙げ、名前を伏せ字にして「出歯亀事件」を例示している。警察の捜査も裁判も、そして新聞も、そうした視線で事件と亀太郎を見ていたのではないだろうか。事件をめぐる“軽さ”にはそうした理由もあったのでは?

 獄中での池田亀太郎を著名な思想家が書き留めている。関東大震災直後に殺害された大杉榮だ。「獄中記」=「大杉榮全集第3巻」(1925年)所収=にこうある。

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