確かにこの通りなら、亀太郎のアリバイは成立する。ただ、この情報の正確さや、なぜこの話が警察や弁護団、メディアに伝わらなかったのかなど、疑問は残る。
「出歯亀冤罪」は「亀太郎が捉(つかま)ったと聞くと、女髪結は家の者に固く口止めしてしまった。拘(かかわ)り合いをおそれたのである」と書いている。さらに衝撃的な指摘もある。
「亀太郎の老母は倅(せがれ)の引致された後、生活がゆるやかになった。たれが扶助するのかそれは判(わか)らない。風説では『老母の面倒をみてやる』という条件で自白したというのだが、果してそうかどうか――」
そのうえ、早稲田大教授の目撃談などから、ゑん子と同居していた義弟の犯行の可能性までにおわせている。長谷川伸は「日本捕虜志」などをまとめた真摯な作家。いいかげんなことを書くとは思えない。それでも、この文章は大きな謎だ。
なぜここまでセンセーショナルに受け止められたのか
この事件がセンセーショナルに受け止められたのは、当時の文学界の動きと関連付けられたからでもあった。
亀太郎逮捕直前の1908年4月4日付東京二六新聞「二六ポンチ」に、妖怪の狒々(ひひ)が「自然派」と書かれた帽子を被って警官の前に現れた漫画が載った。説明は「自然派の大先生大久保に出没す」。狒々は好色の象徴とされる。
このポンチ絵は「出歯亀事件」と「自然派」を結び付けていた。伊藤整「日本文壇史12(自然主義の最盛期)」(1971年)は書いている。
「明治41(1908)年は自然主義といふ(う)名で呼ばれた作家たちの小説が最も目立つ(っ)たときであつた」
日本の自然主義(自然派)の文学とは、人間の内面をえぐり出して赤裸々に描くのが特徴。その代表格が前年雑誌に発表されて大きな反響を呼んだ田山花袋の「蒲団」だった。
「自然主義とは、性を生活の第一の要因と見て、𦾔(旧)道徳を崩壊させても省みぬ流派であるといふ通念が、文學(学)作品を讀(読)む習慣のない世人の間にも流布した。當(当)然この觀(観)念は卑俗化され、好色と露骨さとが自然主義の特色であるかのや(よ)うに安易に受け取られた」(「日本文壇史12」)
「さ(そ)ういふ雰圍氣(囲気)の中で、次のやうな刑事事件が起こつた」と同書は「出歯亀事件」を語る。「この事件が當時隆盛期にあつた自然主義と結びつけられ、自然主義なるものは出齒龜主義であると、しばしば揶揄(やゆ=からかう)的に言及された」。
自然主義文学の牙城の1つは「早稲田文学」で、早稲田は大久保とは目と鼻の先。「東京二六新聞」のポンチ絵はそのあたりのことまで含めて描かれたと思われる。
鷗外も漱石も「出歯亀」と…
「出歯亀」と「出歯亀主義」という言葉は当時の有名作家も使っている。知られているのは森鷗外が翌1909年に雑誌「昴(スバル)」に発表した「ヰタ・セクスアリス」だろう。主人公の哲学者に自然派小説への否定的見解を述べさせた後、次のように書いている。