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女湯をのぞき目にとまった“26、27歳の美人”を暴行・殺害…「畜生に劣る色餓鬼」性犯罪者の代名詞となった男の犯行とは

女湯をのぞき目にとまった“26、27歳の美人”を暴行・殺害…「畜生に劣る色餓鬼」性犯罪者の代名詞となった男の犯行とは

「出歯亀事件」#2

2023/03/19
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仕事後、行きつけの居酒屋に立ち寄ったが…

 当日(3月22日)、亀太郎は朝8時から付近の家屋取り壊しの仕事に雇われ、午後5時半ごろまでその仕事をして帰途に就いた。行きつけの居酒屋に立ち寄って焼酎数杯を飲み、いい機嫌でわが家に帰ろうとしたが、ふといつもの病気が起こって非常に湯屋がのぞきたくなった。どこがいいだろうと考えたすえ、道を転じて同村54番地、森山湯に行き、格子から中をのぞき見ると、折柄26~27歳の美人が湯から上がり、手早く化粧を終えて着物を着ているところだった。やがて表に出ようとしたので、亀太郎は少し身を避けて女を通し、ひそかに後をつけた。7~8間(約13~15メートル)歩いて行ったところを突然後ろから女に寄り添い、右手を伸ばしてのどを抱えて、左手を尻に押しつけ、声を出させないようにして同47番地の空き地に引っ張り込んだ。女が一生懸命逃げようとするのを力任せに引き倒してあおむけにしたが、女は組み敷かれながらも左右の足を跳ね上げ、声を立てて助けを呼んだ。人が来ては面倒と、ぬれ手ぬぐいで口を押さえ無理に暴行を遂げたが、女はそのまま気絶したものか、容易に起き上がらなかったが、死んだとは思わなかった。近道を歩いて家に帰ったのは夜の10時すぎ。23、24の両日も仕事をし、25日になって女の身元と気絶したまま死亡したことを聞いた。大変驚き、すぐ自首しようと思ったが、妻子のことを考えてそれもできずにいるうちに拘引された。

「生来怠け者でろくろく勉強もせず、放蕩者と父に叱られながら、女と酒に身を持ち崩していた」

 報知の中見出し「犯人の素性」「犯人の家族」の記事の要旨は――。

〈父はかなりの植木職人で、本郷湯島で職人数人を雇っていたほど。亀太郎は小学校で多少文字を習い覚えたが、生来怠け者でろくろく勉強もせず、放蕩者と父に叱られながら、女と酒に身を持ち崩していた。

 27歳のとき父が病死。亀太郎は誰にも遠慮が要らないのでわがまま勝手に遊び暮らし、湯島にもいられなくなって母とともに大久保に移住した。稼業を継いで植木職を営み、消防夫にもなったが、身持ちが悪く、金があれば飲む打つ買うに遣い果たして家賃も払えず、家主に追い立てを食らう始末。1905年、父の得意先だった材木商に泣きついて家を借り受けたが、1907年ごろからまた酒を飲み始め、月1円(現在の約3700円)の支払いも払いかねるほど。

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 亀太郎の妻は豊多摩郡中野町(現東京都中野区)の農家の三女だが、実家が金があることから、亀太郎が金を引き出すため、自分が裕福で将来有望とうそを言って嫁にもらった。一家は亀太郎の母(69)と妻(23)、長女(2)のほか植木職の弟子が1人いる。〉

「人は見掛に寄らぬ」

 さらに「悪相の犯人」の中見出しで容貌について触れている。

「身の丈5尺2寸(約158センチ)ぐらい。小太りで色は黒く、眉毛は濃く、額は狭い。両頬がくぼみ、眼光鋭く一見猛悪(獰猛で悪い)の相を呈している」

 4月6日付朝刊の他紙も社会面の大半を使うなど大々的な報道。犯行の自供内容はほぼ同一だが、特筆すべきは、東朝が逮捕第一報の段階で後年に広がる「出歯亀」という名称を紙面で使っていること。

 主見出しから「大久保美人殺 出齒(歯)龜(亀)の自白」。その“ネタ元”の談話が「人は見掛に寄らぬ」の中見出しで載っている。

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