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 東朝は唯一、この日の紙面に「薄命の美人 幸田ゑん子」のキャプションで、椅子に座った和服のゑん子の写真を載せている。事件が起きたのは結婚1周年を迎える前日で、ゑん子が出かけたのは、一時世話になっていた親類宅への挨拶のためだった。ゑん子は20歳のときに一度結婚したが、夫と折り合わず、別れて親類宅に戻っていた。

第一報で東京朝日は被害者の写真を載せた

「一種の色情狂者の行為であることに間違いないようだ」

 この第一報の段階で「犯人像」に触れている新聞もあった。萬朝報は主見出しを「色魔の残虐」とし、本文で「たぶんこの辺を徘徊している痴漢の一時の出来心から惨事を起こしたのだろう、現場の痕跡から犯人は1人だろうという鑑定だが、抵抗されたので殺害したのか、訴えられるのを恐れて殺害したのかは明らかでない」と書いた。

 時事新報も「一種の色情狂者の行為であることに間違いないようだ」と指摘。「有力なる事実」の中見出しで、2人組の男が付近で通行の女性を辱めたことが前年11~12月に約5回、本年1~2月に約4回あり、3月6日にも「女中」が被害を受けたと記した。

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「怪しい男が現れて通行する女性にわいせつ行為をし、辱めを受けた将校夫人や令嬢らが…」

 東朝は「無警察の大久保」の中見出しで付近の治安状況を次のように報じている。

 日露戦争後、大久保はがぜん膨張して人家がまばらに立ち並んだが、駐在の巡査は極めて少なく、そのために窃盗続々と生じて、われもわれもと被害を訴える者が多かった。昨年12月ごろから躑躅(ツツジ)園付近に怪しい男が現れて通行する女性にわいせつ行為をし、辱めを受けた将校夫人や令嬢らが2~3人にいるとの評判が立ち、銭湯は2軒とも女性客が半減。身分のある人は夜分は家に引き込み、そうでなければ供を付けて外出する習慣だったが、いかにも物騒なので毎晩警官は角袖で付近を警戒していた。

「角袖」とは男性の和装コート。まだ現場の刑事も和服だったことが分かる。同じ3月24日付朝刊の報知の続報は「5軒の湯屋覗(のぞ)き」の中見出しで「大久保管内に5軒の湯屋があって、しばしば女湯をのぞく痴漢がいる。夜間は戸口に立ち寄る者や指で障子を破る者があるという」と書いた。

新聞は事件の捜査に当たった刑事らを名前と写真入りで伝えた(時事新報)

 事件発生直後から、角袖の刑事は付近の「不審人物」を「嫌疑者」として次々連行していた。東朝は「警視庁の宮内警部は某方面に出張中だったが、昨夜10時ごろ、刑事2名とともに嫌疑者1名を伴って新宿署に帰った。嫌疑者は22~23歳の土方ふうにして頭髪は五分刈り。面相は獰悪ではんてんを着ていた」と、当時の新聞らしい差別的な表現。