東日本大震災以降、2度の震度6強に見舞われた福島県相馬市の松川浦。たび重なる被災に、24軒あった宿泊施設では廃業や休業が相次ぐ事態となった。

 希望を失い、諦めかけていた松川浦の人々に力を与えたのは、かつての名物だった浜焼きの復活だ。旅館の若旦那4人で作る「松川浦ガイドの会」が、自分も被災しながら取り組んできた。今では長い行列ができ、松川浦の新しい名物として定着しようとしている。(全2回の2回目/前編を読む)

 なぜ、そこまで人を引きつけるのか。探っていくといくつかのキーワードがあり、それが重なり合って集客に結びついてきたことが分かる。そして、迫り来る「危機」を乗り換えるための起爆剤になるかもしれないと期待を寄せる。

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 ガイドの会の発起人になったのは会長の久田浩之さん(41)=亀屋旅館=だ。

 管野芳正さん(48)=ホテルみなとや、管野功さん(46)=旅館いさみや、管野雄三さん(29)=丸三旅館=に呼び掛けて、2020年秋に結成した。

浜焼き開始前に仕込みをする「松川浦ガイドの会」の若旦那4人。左から久田浩之さん、管野芳正さん、管野功さん、管野雄三さん(相馬市、浜の駅松川浦に設営された浜焼きテント)

 きっかけとなったのはカニだった。

 東日本大震災から少し後、現在のガイドの会とは別の同名の会が結成された。松川浦を案内したり、体験の手伝いをしたりしようという集まりで、久田さんは途中から加わった。

 だが、当時は復旧工事や除染の作業員で連日満室だった。「旅館の方が忙しく、ガイドをしている余裕はありませんでした。そのうちに活動も低調になっていきました」と久田さんは話す。

 しかし、久田さんには海の楽しさを誘客に結びつけられないかという思いがあった。そこで個人的に子供を対象にした「カニ釣り体験」を始めた。これは久田さんが子供の頃から大好きな遊びだ。

「カニ釣り体験」にはこの地域ならではの需要があった

「原釜尾浜海水浴場の近くの人工磯で、針金に生のイカゲソを付けて隙間から垂らすのです。10秒もしたらイカの匂いを嗅ぎつけたカニが寄って来ます。ハサミで挟んだところを持ち上げます。でも、子供はカニが怖くて、持ち上げてもつかめません。熱中するのは、一緒に参加した親の方なのですが、こちらには邪心があるせいか、なかなか釣り上げられません」

 カニ釣り体験には、この地域ならではの需要があった。

 松川浦の一帯では震災を機に地元を離れた人が多い。老夫婦だけ地元に残り、若手は都市部などへ出て行ったのである。そうした老夫婦のもとへ孫が帰省しても、海での遊び方を知らない。小さい時に松川浦を離れたか、離れた後に生まれたかなので「都市の子」になってしまっているからだ。このため久田さんのカニ釣り体験は重宝された。

 活動を続けているうちに、福島県の観光物産交流協会から声が掛かった。

 福島県内でも相馬市などの浜通り北部地域には観光拠点が少ない。「誰か面白いことをしている人はいないか」と探していた時に、相馬市の観光協会が紹介したのだった。

 コンサルタントを派遣してくれるというので、仲間に呼び掛けて、グループを作ることにした。

 これが旅館の若旦那4人で結成した新生「松川浦ガイドの会」だ。

 カニ釣り以外にも、松川浦で体験しながら面白く過ごせないか。コンサルタントを交えてざっくばらんに話をする中で出てきた案の一つが、浜焼きだった。