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高架沿いを東に歩いて行くと線路がふたつに分かれていった。あれは…

 東京武道館の脇からは、駅に向かってよく整備された公園のようなスペースが広がっている。その周囲が住宅地、駅に近づけば商業施設も増えてくるそういうエリアだ。公園は東綾瀬公園といい、駅前から東京武道館を挟んでさらに北へ延びてゆく、広大な都市公園になっているらしい。

 公園巡りは趣旨ではないのですべてを歩くつもりはないが、どこをとっても地元の人々、子ども連れのファミリーから学生のグループ、お散歩中のお年寄りまで実にさまざまな人がいる。下町といってもそこは大都会・東京の一角。クルマの通行を気にせず安心して遊べる場所はなかなかないわけで、駅前にこうした公園があるというのは地元の人にはありがたい限りだろうと思う。

 

 綾瀬駅の高架沿いを東に歩いて行くと、高架下の巨大な駐輪場のすぐ真上で線路がふたつに分かれてゆく。まっすぐ東に進んでいるのが常磐線。北に分かれるのは北綾瀬駅に向かうひと駅だけの千代田線の支線である。

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 いまでは綾瀬から直通してくる列車も多くなっているが、ひと昔前までは綾瀬~北綾瀬間のピストン輸送だけのローカル区間だった。もともと北綾瀬の車両基地へのアクセスのために設けられた線路を流用した形だ。それがいまでは事実上千代田線本線の一部に組み込まれている。沿線一帯が実に発展したことの証といっていい。

戦争の真っ只中で開業した「綾瀬」。当時は…

 綾瀬駅の開業は戦時中、1943年である。1940年に東京府立第11中学校(現在の都立江北高校)が青山から移転してきており、学生たちの交通の便を確保するために学校側が国鉄に陳情して駅を設けたという。同時期に開業した駅は全国で3つだけで、そのうちのひとつだった。

 それだけ重要な存在だった……といえば聞こえはいいが、戦時中のことだからおいそれと駅を新設する余裕などはなかっただけのことだろう。開業当初の綾瀬駅、周囲は田畑が広がっているばかりであり、利用者はほとんど件の学生ばかりだったようだ。