町を大きく変えた千代田線の開通。「交通の便が良くなる」だけじゃない目的も…
町が大変貌する大きなきっかけになったのが、千代田線の開通であった。
千代田線の建設は、1964年に決定している。都市部の輸送の便の向上という目的ももちろんあったが、大きな狙いのひとつに常磐線の混雑緩和があった。千代田線を建設して常磐線への乗り入れを行い、加えて上野~綾瀬間を千代田線として常磐線から事実上分離することで輸送力を増やそうと考えたのだ。
そうして綾瀬駅は千代田線と常磐線の“境目”の駅になった。綾瀬駅は千代田線開業に先だって1968年に高架化され、約250m東側に移転してリニューアル。そして1971年に千代田線北千住~綾瀬間が開業し、常磐線との直通運転もはじまった。常磐線はこのときに各駅停車が走る緩行線と中長距離列車が走る列車線の複々線に改められている。かくして、千代田線のおかげで常磐線の輸送力は大幅にアップした、というわけだ。
この時点では、綾瀬駅の周辺の開発はまだまだはじまったばかりといっていい。駅の移転・高架化にあわせ、駅北口の商店街のうち、17店舗が用地買収の対象にかかって営業を休止。改めて高架下に移転することになった。綾瀬駅の高架下の飲食店などは、そうしたお店にルーツを持っているというわけだ。
以後、東京都心に直接乗り入れることができて、それでいてそれほど都心部からも離れていない綾瀬一帯は、住宅地として発展していくことになる。駅を取り囲むように流れていた古隅田川はほとんどが埋め立てられ、いまではその一部が道路などになっている。
「言われてみれば、綾瀬駅ほど便利な場所もない」
言われてみれば、綾瀬駅ほど便利な場所もないと思う。
巨大ターミナル・北千住まではたったのひと駅だし、千代田線に乗れば30分で大手町まで出ることができる。山手線と交差する西日暮里駅となるとわずか15分。それでいて、始発列車も多いから座って都心へ通勤することもできるというものだ。
さらになんといっても東京都内、ちょっと歩けば東武スカイツリーラインの小菅駅や五反野駅などもある。どこかひとつの路線がストップしても、なんとでもなるという利便性もある。
そりゃあもう、場所さえ確保できれば駅前にタワマンが建つのも、あたりまえのお話なのである。公園も広く確保されていて、味のある個人店も多い。こういう町に暮らすのが好きな人、多いのではないかと思う。