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「腰の痛みが限界だったうえに、ヘタだ、と怒られ続けるので自分に全く自信がなくなってしまって。頑張りたいのに頑張れない、悪循環が続きました。何のためにバレーボールをしているのかもわからなくなってしまったし、もうオリンピックもどうでもいいから逃げ出したい、としか考えていませんでした」

 それでも注目度が減るわけではない。むしろワールドカップ翌年の04年、5月に開催されるアテネ五輪最終予選に向け、寄せられる関心は高まるばかり。最初はあれほど嬉しかった取材も、マイクを向けられるたびに警戒心ばかりが芽生えた。

「質問に対して純粋に答えを考えるのではなく『こう言ってほしいんだろうな』と大人の意図が見えてしまう。たぶんそれはメグも同じで、お互い高校時代からずっと一緒にやってきたから心強い存在だったんですけど、2人で一緒にいるとメディアが集まるので、先輩の目が気になってしまってあえてメグのことを避けていました。本当は誰よりも同じつらさを分かち合える存在なのに、周りを気にして、ライバル扱いされることが嫌で、距離ができてしまった。誰にもつらさや悩みを吐き出せないことが一番つらかったです」

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 普段馴染みのない競技を多くの人に知ってもらうために、特定の選手を取り上げ、極端に言えばアイドル扱いをすることも仕方がない。当時の記憶をたどりながら大山はそう言う。だが、人としても選手としても成長過程にある10代の頃は、周りが配慮すべきだと自身の経験を重ねて苦言を呈する。

「心も身体も未熟な時に過度な注目をされると、選手にとっては喜びではなく負担のほうが大きくなりやすい。それでもプレーに注目していただけるのは嬉しいですけど、外見とか、プライベートな面を取り上げられるのはちょっと違うな、と思いますね」

自分の知らない写真が雑誌に載っていた

 国際大会がゴールデンタイムで中継されるバレーボールは、代表チームとテレビ局との関係も深く、試合のみならず合宿中や日々の練習を常にカメラが追い、休日でさえ「オフの光景」としてカメラがつきまとう。美容室で髪を切るところまで密着された時はさすがに息が詰まりそうだったが、その時も知ってもらうために仕方ないと受け入れた。だが、度を超えた露出にはさすがに恐怖を感じた。

「今は性的画像の問題が取り上げられるようになりましたが、当時は誰がどこで撮ったんだ? という写真も公然と出回っていました。本屋さんへ行ったら、自分の知らない写真が雑誌に載っていたり、電車の中吊り広告で性を強調したような自分の写真が掲載されているのを見たこともあります。でも、当時は『こんなものなんだ』と諦めていたし、もしも今同じような状況に置かれていたとしても『止めてほしい』と訴えたら、SNSとかで『じゃあ選手なんてやめろ』という声が届くかもしれない怖さが先立つ。そうやって、選手の立場ではどんどん声を上げにくくなるんです。特に10代の選手はそうならないように、周りの大人が守ってあげないといけないし、おかしいことに対してはおかしいとちゃんと声を上げられる環境であってほしいです」