そのうちの一つは、郡山市内のホテルに採用された。シャンプーなどのアメニティグッズを包む布として、ピンクの下地に花びらを白く染め抜いたデザインの製品を納めた。
だが、メンバーは次第に減っていった。
なぜメンバーが減ってしまったのか?
避難先という異常な空間で設立された工房だ。普通でさえ運営は難しいのに、混乱がつきまとった。製品を販売する工房として設立されたはずだったが、当初は補助金運営のためにボランティアで染めることしかできなかった。設立から3年が経過すると補助金が打ち切られ、一転して自立か解散かを迫られた。「続けたい」というメンバーが残り、賃料の安い郡山駅から10km以上離れた場所に工房を移した。通えなくなる人もいて、最後は耕一さんだけになった。結果として、繁子さんが事務を手伝い、夫婦で運営することになった。
新型コロナウイルス感染症の流行や、最大震度6強を記録した2度の福島県沖地震(2021年2月、2022年3月)にも翻弄された。アメニティグッズを包む布として納めていたホテルが宿泊客の減少や被災で休業を余儀なくされ、注文が途絶えてしまったのだ。定期収入がなくなっては家賃を払えない。このため小野さん夫妻は富岡町の隣の楢葉町の親類の土地に工房を移さざるを得なくなった。
時間の経過は富岡町にも変化を与えた。
当初は全域が立入禁止とされたが、放射能の自然減衰や除染が進み、2017年4月に町の中心部などで避難指示が解除された。この時、夜の森でも解除された地域があり、桜並木も一部が立ち入れるようになった。
2020年3月にはJR夜ノ森駅と周辺道路の避難指示が解除され、さらに立ち入れる桜並木の範囲が増えた。
最終的に全ての桜並木の下が通れるようになったのは2022年1月からだ。
「帰還困難区域」とされてきた地区に「特定復興再生拠点区域」が設けられ、政府が特別に除染を進めたからだった。このエリアの避難指示解除は2023年4月1日だが、先行してバリケードが取り払われ、誰でも自由に入れるようになったのである。
これで夜の森地区は全て立ち入りが可能になり、富岡町内で避難指示が続くのは残り2地区となった。
小野さん宅は夜の森地区でも「特定復興再生拠点区域」にある。この4月1日にようやく「帰れる土地」になった。
被災前の夜の森は、桜並木があることからイメージがよく、若手のファミリー世代にも人気の住宅街だった。JR夜ノ森駅前には農協、薬局、理髪店、金物店、時計店、電器店などがあり、「一通りの用事を済ませられた」と話す人が多い。
だが、どれだけの人が帰ってくるのか。