母が亡くなった。

 その時が遠からず来ることは分かっていたので、心は落ち着いていたが、「人は本当に死ぬのだな」という、間抜けなほど当たり前のことを思った。

もしもの時の延命治療をどうするかと医師に聞かれ

 それまで一人暮らしをしていた母は、2年前に入院したことで一気にQOLが下がり、退院後に再び一人で暮らすことが難しくなった。当時、次女はまだ2歳で、私が家に受け入れることは難しく、母が入居できる施設を探すことになった。

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桜と次女 ©上田初美

 この時期は体力的にも精神的にも結構大変で、入退院手続き・施設探し・それまで暮らしていた家の手続きなど+育児と仕事を同時にこなした。私が家を空けている間は夫がすべての家事を引き受けてくれたが、よく夫婦2人で乗り切ったと、自分たちのことながら思う。

 入院時に、もしもの時の延命治療をどうするかと医師に聞かれ、即答できなかった。親とはいえ、人の命についての選択をしなければならないのは重い。家に帰って、私がもしもの時はこうしてくれと夫に話した。自分が考えていることは、伝えないと伝わらない。

 病院が施設を探すための会社と繋いでくれたおかげで、自分で0から探すという事態は逃れることができた。調べてみて初めて知ったのだが、施設には様々な種類がある。

久しぶりに小説を開いて、その世界に入りこんだ

 ただ、長年の持病があり、24時間看護付きなどの条件が複数ある母が入れる施設はそれほど多くない。リストアップされた2、3個の中から、最終的には自分の家からの距離と、費用を秤に掛けて決めた。

 入居のための相談は、現地まで行かなければならないことが多く、何度も長時間電車に揺られた。詰将棋を解く気にはなれず、久しぶりに小説を開いて、その世界に入りこんだ。入り込むことで、気持ちを完全に切り替えようとしていたのかもしれない。

 紹介会社の人が施設の最寄り駅から同行してくれて、向かっている間に色々と話した。「施設はお金が掛かるので、親に長く生きていて欲しいけど、それを心から望めなくなっていく人も少なくない」と言われたのが一番印象に残っている。

 無事に入居できた施設のロビーには、足つきの囲碁盤が置いてあった。将棋をチラリと探してみたけど、残念ながら見当たらなかった。施設によっては様々なレクリエーションが行われている所もあって、そういった所でも将棋があったらいいなぁと思った。将棋は負けるのがめちゃくちゃ悔しいけど、悔しさもある種のエネルギーだ。