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 大戦期ドイツのゲームを語る上で、まず初めにどうしてもご紹介したいゲームがあります。それがこの作品、1934年にMainzer Anzeigerから発売されたカードゲーム『Bilder Kartenspiel “Verlorenes Land”(ビルダーカードゲーム「失われた土地」)』です。

『Bilder Kartenspiel “Verlorenes Land”(ビルダーカードゲーム「失われた土地」)』のパッケージ

 タイトル通り“失われた土地”をテーマにしたカードゲームですが、本作で重要なのは、この“失われた土地”が一体どこを指していたのかという部分。もしかするとそれは……、当時のドイツ国民にとってはわざわざ説明される必要なんて無かった話なのかもしれませんが。しかし現代を生きる皆さんでも説明用カードを読めばゲームの”狙い”はちゃんと理解出来るはずです。

左:ゲームルールの説明カード、右:ゲームテーマの説明カード

「ヴェルサイユ条約によるドイツの総損失」

 

ドイツ語話者のいる土地
 7万平方キロメートル
 655万人の住民がおり、内約400万人がドイツ語話者

 

植民地
 295万平方キロメートル
 1億2400万人

 

総合計
 302万平方キロメートル
 1895万人

 どうです、お分かりになっていただけました? 本作は第一次世界大戦終了後、ドイツ帝国が敗戦によって失陥した領土・植民地の数々を懐かしみ、ドイツ国民にその恨み辛みを忘れさせないようにゲーム化したという非常に怨念深い作品なんですよ。

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 ゲームのメカニズムもテーマに実にマッチしてましてね。規模の小さいババ抜きのようなゲームを想像してもらえば良いかもしれません。互いにカードを引き合い、失陥した領土の「説明カード」と「写真カード」がペアになったら場に捨てていくんです。

ドイツが失った領土を覚えずにはいられないデザインでしょう?

 失陥した領土は計16箇所、それら全てに説明カードと写真カードがセットになっており計32枚。どんどん失われた領土が明らかになっていく中で、最後に33枚目のジョーカーを引いたプレイヤーが負け。老若男女遊びやすく、思わず失陥した領土を覚えずにはいられないデザインでしょう?

左:大戦中ドイツ民族遺産の象徴ともされたストラスブール大聖堂、右:国境沿いの町テナーの名所マーケットスクウェア

 Aのアルザス・ロレーヌは現フランス領のドイツ国境沿い領土。もともとドイツ語話者も多い土地で、鉄鉱石や石炭を算出するため長く係争地になってきた土地ですね。

 Bのシュレスヴィヒ・ホルスタイン現デンマーク領のドイツ国境沿い領土。地図的には北シュレスヴィヒと言った方が正確でしょうかね? 神聖ローマ帝国とデンマーク王国で長らく主権が行き交った土地であり、プロイセン・デンマーク間で二度に渡り戦争も行なわれた因縁深い土地でもあります。

左:ドイツ・オーストリア・ロシアの三帝国が交わる国境だった地点、右:メーメル港の風景に注釈で特産品が書かれている

 Cのシュレージェンは現ポーランド南西部。18世紀にマリア・テレジア率いるオーストリアとフリードリヒ2世率いるプロイセンが主権を争った土地として知られています。

 Dのメーメルは現リトアニアの港湾都市クライペダ。ヴェルサイユ条約でフランスを代表とする委任領になったのち、1923年のリトアニア侵攻でリトアニア領になりました。

 どうです? 写真に、地図に、概要が 1セット。100年前の基準とは言え、教育的ゲームとして丁寧に作られていることが随所に伺える逸品だとは思いませんか?