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出版物の検閲に注力したナチスの政治手法

ナチスが権力を奪取するまでの数々のイベントが印刷されたカードたち。中央は労働者の日の記念式典で、この年ドイツの労働組合は禁止された

 1933年1月30日、時のワイマール共和国大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクは、フランツ・フォン・パーペンら複数の有力政治家の諫言により、一人の男をドイツ首相に任命しました。

 副首相の座に収まったパーペンは「素人政治家の懐柔など容易い」と考えていたようですが“結末”は違いました。男の所属する国民社会主義ドイツ労働者党は瞬く間に政権内での権力を掌握し、1934年には内閣成立を策謀したパーペン自身すら内閣を追われる羽目になったのです。

第三帝国旗

 国民社会主義ドイツ労働者党、通称ナチスの政治手法は様々な面から語られますが、特筆すべきはやはりプロパガンダへの並々ならぬ注力でしょう。

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 内閣成立直後の3月14日にすぐさま帝国国民啓蒙宣伝省を新設すると、ナチスはドイツ社会に対し広告戦を仕掛け始めます。ラジオ番組や映画等を大量生産して供給する一方で、ありとあらゆる出版物の検閲を開始しました。もちろん出版物である以上、ゲームも検閲から逃れることは出来ません。

カード化された中には権力掌握時に既に故人だった者もいる。ホルスト・ヴェッセルは1930年に共産党員によって射殺され、後に英雄化された

政治家カルタは、ファンアイテム的な扱いだった

 1934年にAnton Lehnerから発売された『Fuhrer quartett spiel(指導者カルテットゲーム)』などが代表的な例でしょう。

 カルテットはドイツの伝統的な遊びで、日本におけるカルタに準ずるゲームと言えば想像しやすいかもしれませんね。テーマを変えて多くの種類が作られているのも似通っていて、本作はドイツの新しい指導者……、まぁ、端的に言えばナチス内閣組閣バージョンです。政権交代に伴う新指導者宣伝の為に作られた作品ですが、現代におけるファンアイテム的な需要があったことも否めません。

左:国民啓蒙宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス、右:大統領パウル・フォン・ヒンデンブルク

 せっかくのことですし、この筋書きの立役者達をゲームを使って紹介しましょうか。まずはこれらのプロパガンダの主役を担ったのが、国民啓蒙宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス。ナチスのメディア戦略の最高責任者であり、大元を辿ればこれらのゲームの生みの親とも言える人物です。

 大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクも忘れてはいけませんね。カードの説明にも書かれている通り、彼が1934年に亡くなったことでナチスはいよいよ歯止めを失いましたから。

左:親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラー、中央:副総統ルドルフ・ヘス、右:国防大臣ヴェルナー・フォン・ブロンベルク

 ナチスの根源的価値観を作ったという意味では、副総統兼無任所大臣ルドルフ・ヘスも重要人物でしょう。ドイツ地政学の学者カール・ハウスホーファーの教え子だったヘスは、ドイツ民族が発展・存続するためには更なる人口と土地が必要として、ナチ党の25カ条綱領に領土拡張の思想を盛り込む礎を作ったと言われています。

 社会問題の解決策を領土拡張に求める価値観の象徴的人物であり、……なにせ先に紹介した『Bilder Kartenspiel “Verlorenes Land”』が作られた背景にも繋がる人物ですから。