開戦までにさほど時間はかかりませんでした。

 1939年9月1日、ドイツはラジオ放送局への攻撃を理由にポーランドに宣戦布告。グライヴィッツ事件と呼ばれる、後にハインリヒ・ヒムラーによる工作であったと発覚した自作自演の開戦でした。

 ポーランドは自由都市ダンツィヒとメーメル含むポーランド回廊の帰属についてドイツと領土対立を抱えており、ドイツで権力を掌握したナチス首脳陣は領土的野心を隠さず……というのは先の記事で紹介したゲームで既に皆さんもお分かりになっていたことでしたね。

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 ドイツは現代でもボードゲームの一大生産地として知られる国です。カタンにニムト、カルカソンヌなど、ボードゲームに詳しくない方も一度は名前を聞いたことがあるゲームばかりでしょう?

 他の国でさえその傾向があるのだから、大戦中ドイツがどれほど軍国主義的なゲームを作っていたかは……、コレクターですら正確な数が分からないとよく言われるほどです。ここでは三つほど、私の持っているゲームから戦間期の代表的な作品を紹介しましょうか。

『Adler Luftkampfspiel(アドラー空戦ゲーム)』のパッケージ

「実は本作はドイツ空軍将校によって考案されたのです!」

 まずは1941年Hugo Gräfe Verlag発売の『Adler Luftkampfspiel(アドラー空戦ゲーム)』。二人プレイ用の空戦ゲームで、当時ドイツ空軍で考案されていた大規模爆撃を再現出来るのが売りでした。

 何故そのようなことが出来たかと言うと、「実は本作はドイツ空軍将校によって考案されたのです!」と、説明書に売り文句にも書かれている通りだったからです。実際、今でも多くの完品がオークションにも出回っているようなメジャーな作品ですね。

プレイヤーはレッドチームとブルーチームに分かれ、それぞれ川を挟んで互いの陣地を攻撃しあう対戦ゲームとなっている

 第一世界大戦敗戦によりドイツは軍備に大きな制約を課されていました。特に空軍は軍用機の保有を禁止されていたため、再編成に向けた動きも国際社会から厳しく監視され、長らく水面下での対応を余儀なくされていたのです。

 しかしヒトラー内閣は権力掌握と共に国防軍の再編を企図し、1935年、ヴェルサイユ条約に定められた軍事制限条項を一方的に破棄し再軍備を宣言しました。そもそもドイツ空軍の再創立自体、公にはこのゲーム発売からたった6年前の出来事なのです。

説明書には”国防軍の全ての人員、特に空軍所属者は、ゲームを楽しむだけではなく空戦の深刻さも学ぶだろう”と謡われている

 再軍備宣言後、ヒトラー内閣はこれを数年のうちに完遂すべく巨大の費用を投じたと言われています。自身も第一次世界大戦でエース・パイロットとして活躍した航空大臣ヘルマン・ゲーリングは、ヒトラー庇護のもと急降下爆撃を重視する航空機生産を開始しました。

 本作を監修したのはドイツ空軍司令部が発行していた雑誌Der Adler(デア・アドラー)と言われていますが、一つ一つの史実を踏まえると、ゲームが世に出た意味合いも重々しく感じられるでしょう?