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 しかしゲームの出来とは裏腹に、ドイツ国民がどれほど節約しようとも、どれほど売国奴を探そうとも、戦局が大きく好転することはありませんでした。

ゲームに付属する1944年のカレンダー、「季節を問わず石炭泥棒に注意しましょう!」と注意が書かれている

 1943年2月に85万人もの犠牲者を出したスターリングラード攻防戦の敗北が決定的になると、北部ではソビエトの反抗を許すようになります。1943年9月に同盟国イタリアが降伏すると南部の守りが弱体化、1944年6月にはノルマンディー上陸作戦で西のフランスに大量の連合軍が上陸。東西南北を敵に囲まれたドイツ本土への空襲も本格化し、主に工場が標的となったと言われています。この時期にはもう、日用品の生産にすら支障が出るようになっていたのです。

『Kohlenklau Quartett(石炭泥棒カルテット)』のパッケージ

 1944年発売の『Kohlenklau Quartett(石炭泥棒カルテット)』は、敗戦間際のドイツで発売された数少ないゲームの一つであり、私が持っているものとしては最晩年の作品です。内容はボードゲーム版と同じく石炭泥棒を捕まえろというものですが、それがカルテットに落とし込まれている作品ですね。

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 しかし以前のように国民の倹約を促すのではなく、もっと啓発的。石炭資源の一つ一つがどのように生み出され、どのように消費されるかの解説になっているのです。

『Kohlenklau Quartett』は石炭加工版のカルテット、プレイヤーは石炭精製や液化燃料に纏わるカードを集めて遊ぶ

 カードのスートをご覧になってください。採炭から始まり、精製、火力発電、そこから連なる最終目標は……プロパガンダゲームに慣れた今の皆さんにはもう説明不要ですね、そう、戦場ですよ。

 それにしても、このコーレンクラウの面構え、実に太々しいとは思いませんか。当時のドイツ国民は食べるのにも苦労としていた状態でしたから、こんなデップリと太っている泥棒の売国奴がどのように見えたことか……、それはそれは、筆舌に尽くしがたい心情だったでしょう。

「Kohlenklau(KK)はドイツ国民に危害を加える悪党です、彼はとても利口で変装に長けています、追跡し、追い払わなくてはなりません」

ナチスが攻撃した石炭泥棒が、戦後には人気キャラに?

 では、この石炭泥棒の正体が一体何だったのかといえば、一つ面白い逸話がありまして。今日ご紹介したプロパガンダの数々、当然戦後はすっかり力を失ってしまったのですが唯一例外があるのです。

 それこそが、このコーレンクラウというキャラクターそのもの。なにせ敗戦後の困窮の中、多くのドイツ国民は生きるために非合法な手段も取らざるを得ませんでした。やむを得ず公共機関などから石炭を盗むしかない人達の存在も一気に可視化されましたからね。

 戦前に売国奴と蔑まれていた石炭泥棒のキャラもまた、戦後には生きるために盗みを働く人々を正当化する義賊的なキャラへと扱いが変わった。「社会が大きく変動するタイミングには、価値観を色濃く反映するゲームが世界中で作られてきた歴史がある」と言ったじゃありませんか。

 変わったのはあくまで価値観であり実態ではない。コーレンクラウもまた同じ。最初から最後まで、その正体がドイツ国民自身だったことに変わりはない、というワケです。