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 あくまで私の知る限りですが、1945年1月~5月に大量生産されたプロパガンダ的なゲームは、見たことがありません。あっても簡素なトランプやおもちゃ類、自家製のボードゲームくらい。

 それこそ私の持っているJagd auf Kohlenklauなどは最初の持ち主が遊び飽きてしまったらしく、ゲームの裏面にお手製のボードゲームが書き残されていましてね。ヨーロッパの諸都市を巡るという内容なんですが、これがどうして遊んでみるとなかなか感慨深いんですよ。

Jagd auf Kohlenklauの裏面に以前の所有者が書き残していた、ヨーロッパ各地を巡る自家製双六

ゲームボードの裏面いっぱいに、鉛筆でマスが書かれている。振り出しに描かれている町はフライベルク。もしかすると作者の地元かも知れないなって思いません? そこから近くの大都市ドレスデンへと渡り、ハンブルグを経由し、最後は首都ベルリンへ。こうやってマス目を順繰りに辿っていると……、なんだか、もしかすると、当時これを遊んでいた人達はもう薄々“結末”に気付いていたんじゃないかなって感じるんです。

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ふりだしに描かれたフライベルクは人口40000人ほどの町、女性囚人に特化した強制収容所付随施設があったことで知られる

 振り出しの町フライベルクは1945年には空襲で市庁舎が焼け落ちていました。次の街ドレスデンの被害はそれ以上で、街の8割が焼け落ちたと言われています。ハンブルグは火災旋風で瓦礫と化し多くの犠牲者を出しており、1945年には首都ベルリンも既に日常的に空爆が行われているような状況下にありました。駆け引きもギミックもないシンプルな双六にポツポツと都市の名前だけが書かれていて、遊んでいると、どうしても考えずにはいられなくなりますから。

1945年5月7日、首都ベルリンをソ連軍に包囲されたドイツはこの日、ドイツ国防軍全軍の無条件降伏を受け入れた

「ああ、プロパガンダですらもうゲームは作られなくなったんだな」とね。

今日、皆さんが遊んでいるそのゲームはどこに繋がっている?

Fuhrer quartett spielの”第三帝国の若者”カード、ヒトラーユーゲントの少年の笑顔を収めた写真が掲載されている

 いかがでしたか? ナチス政権下のドイツのゲームの数々、非常に興味深いものばかりだったでしょう? 「酷いゲームばかりだ」と思われた方も、それはそれで仕方のないことです。

 何故なら現代に生きる我々はどんな“結末”に繋がっているかを知った状態でこれらのゲームに接している。現代の倫理観に照らせば一つとして褒められるような作品はありませんし、なにより、ネタバレを喰らったゲームを遊んでいるようなものとも言えますからね。

 それでは逆に、こう考えてみるのはいかがでしょう。「昨日、今日、そして明日、私達が遊んでいるそのゲームの”結末”は、一体どこに繋がっているのか?」と。

 ご自身には“結末”がもう予測出来ている? おそらくナチス政権下のドイツに住んでいた人々も大抵は同じように考えていたでしょう。ご自身にはプロパガンダを見抜く教養がある? おそらくナチス政権下のドイツに住んでいた人々も大抵は同じように考えていたでしょう。

 未来に生きる人々から見ればその内容が“結末”に繋がっているのは明白にも関わらず、現在遊んでいる我々にはまだ“結末”が分からない。私が「一緒に当時のゲームを遊んでみませんか」と皆さんを誘ったのだって、遊べば分かるから、ですからね。

「こんなゲームを楽しんでいた過去の人々と、現代に生きる自分は違うのだ」というのは思い込みで、実際に遊んでみれば、今も変わらず遊べてしまうゲームばかりだということが。

 ええ、私が保証しますよ。どれもこれも、非常に“よく出来た”ゲームばかりですから。