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 いくらプロパガンダでゲームを作ったとしても、それを遊ぶのはプレイヤーの選択なのです。

 当然、プレイヤーが望む内容でなければ市場は見向きもしてくれない。今、この瞬間、遠い異国で自分たちの軍隊が一体どのように戦っているのかが知りたい。ひいては「こんなに勇敢に戦っているのだから勝てるに違いないのだ」と誰かに強く言ってもらいたいという需要は、現代を生きる我々からしてみてもそう不思議な感覚ではないでしょう?

『Unsere Wehrmacht. Ein Quartettspiel(私たちのドイツ国防軍カードゲーム)』のパッケージ

 1940年に同じくJoseph Scholz Mainzが発売した『Unsere Wehrmacht. Ein Quartettspiel(私たちのドイツ国防軍カードゲーム)』はその代表的な作品でしょう。なにせタイトルからして、“私たちの”と冠されているくらいですからね。

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 ゲーム内容はこれまた伝統的カードゲームであるカルテットのデザイン差し換えですが、本作が特徴的なのは、勇猛な国防軍の写真の数々が報道作品かの如くあしらわれているところにあります。

Unsere Wehrmacht. Ein Quartettspielのデッキは主に国防軍の装備を誇るものと訓練風景を写したカードが大半を占める

 ご覧になってください。戦地に赴く兵士達の勇ましい姿を。陸、海、空それぞれで、国防軍の万全な姿がありありと映し出されている。ナチスは全国の映画館で勇ましく戦う兵士たちのニュースを毎週放映していたそうですが、同じ手法はゲームにも用いられていたと言って良いかもしれません。先の指導者版もあわせ、ヒトラーユーゲント版、空軍版、海軍版と、一体どれほどの軍国主義的なカルテットが作られたか見当もつかないほどですから。

タンネンベルク帝国顕彰碑に掲げられた帝国旗、第一次大戦におけるタンネンベルクの戦いはナチスにとってスラブ民族打破の象徴だった

1943年以降、ゲームが作られなくなったシンプルな理由

 私の知る限り、こうしたドイツの軍国主義ゲームは主に1940年から1942年にかけて大量に生産されていました。……失礼、正直に言うと確実な根拠のある話では無いんです。一人のゲームコレクターとして、オークションに出回っている作品数からはそのように感じる……という程度の話ですので。

 しかしながら、1943年以降何故ドイツでゲームが作られなくなってきたのか、その理由については大体察しがついてもいるんです。いや、おそらくはこれを読んでいる皆さんだって……、既に想像はついているんじゃありませんか?

 もう、ゲームなんて作ってる場合じゃ無くなってしまいましたからね。