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 ……そろそろ皆さんにも、ドイツ帝国が先の敗戦でどれほどの痛手を被ったのかが分かってきた頃合いですかね? なんとなくであってもそれで十分です。“当時このゲームを遊んだドイツ国民も、おそらく自分と似たようなプレイ体験をしたのだ”と分かってもらえたのでしたら。

アフリカから太平洋に至る各植民地もカード化、中には第一次大戦で日本に”奪われた”中国の膠州湾租借地も存在する

 しかし現代を生きる皆さんは、このゲームがどういった“結末”に繋がったのかを既にご存じのはずでしょう。結論から言えば、本作が正しく失われた土地をテーマにしたカードゲームとして遊べたのは、たった5年という実に短い間のことでした。

 むしろ本作の存在こそが本作を正しく遊ぶ状況を許さなかった、と言ってもいいかもしれません。失われた土地に対するドイツ社会の執念はその後、ある意味ではゲームの狙い通り、旧領奪還に向けた武力行使という“結末”に繋がっていったのですから。

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カード裏には”街でお馴染みのMainzer Anzeiger!”との宣伝が、出版元はマインツ地区で同名の新聞を発刊していた

ゲームの後ろにいたのも、戦争を起こしたのも同じ人々

 Aのアルザス・ロレーヌは1940年のヴィシーフランス成立の時期に実質的にドイツに吸収。Bのシュレスヴィヒ・ホルシュタインは同じく1940年のデンマーク占領により奪還。Cのシュレージェンは1939年のポーランド分割。Dのメーメルは1939年のメーメル割譲要求。

 ……これがまた歴史のアヤとも言うべきか、カードに描かれたスートのプレミアに、史実の側がまるで忖度してるかのような年表を辿っていきましてね。

 いや、もしかすると。「史実の側が忖度した」という言い回しも、私が鼻にかけるほどそう文学的な表現でも無かったかもしれません。何故なら、本作が発売された背景も、武力行使に至った背景も、筋書きを書いたのは常に同じ人物でしたから。