――人によるんですか。
岸井 人によります。本当にいろんな人がいて、風で起きるのは、協力してくださった「手話あいらんど」の方から実際にそうしていると教えてもらいました。あと、おならは聞こえないけどいつするかっていう話もしましたし、生活のことを聞いて、それから手話に入っていきましたね。おしゃべりな人もいるし、寡黙な人もいる。監修や指導担当の方がすごく台本を読み込んでくださったので、信頼して、ケイコの世界を教えてもらう気持ちで一緒につくっていきました。
手話で難しかったこと
――手話で難しかったことはありましたか?
岸井 手話にも口型があるので、気持ちの顔だけではやっぱり不十分なんですよ。この手話のときは、口型はパーとか、決まっているので教えてもらいながらやって、表情については三宅さんと一緒に。
――聞こえる方(聴者)との手話と、聞こえない方(ろう者)同士の手話には、違いがあるのでしょうか。
岸井 それぞれに違いがあると思います。ただ、私たちのしゃべり方や使う言葉が違うのと同じことだと感じていて、そういうところが壁だとは思わなかったですね。それよりも、もっと中に入って一緒にやっていた感覚があります。
――中とは?
岸井 監督を中心としたチームの中です。ケイコと私の感覚が違うと思わなかったというか、もちろん聞こえる、聞こえないという部分での圧倒的な違いはあるものの、うーん、なんだろう。「この映画は生き方の話である」という前提が、すごく大きかったかもしれないですね。
おしゃべりは生きることに付属するもので、しゃべるから生きるじゃないですか。共通するのは「運動」じゃないですかね。手話もボクシングも、生きるための「運動」で、言葉を使って気持ちを伝えたり、なにかを説明するという行為よりもっと深いところで、「ただ存在する」ことを意識してこの映画に挑みました。撮影中は糖質制限でとてもストイックになっていたので、考え方がより根源的なほうに向かっていったのかもしれません。
――言葉があると安心できる部分もありますが、言葉そのものについても、すごく考えさせられる映画でした。
岸井 そうなんですよねえ。ふふふ。
(後編に続く)
撮影=榎本麻美/文藝春秋
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