国道34号を跨ぎ、武雄郵便局の脇を抜け、またまた武雄川を渡ると新幹線と佐世保線の高架をくぐる。高架の脇は中央公園として整備されているようだ。
高架の先をさらにまっすぐ北に歩いていくと……温泉街が見えてくる。大きな旅館が狭いエリアに集中している一角を抜ければ、白壁と朱塗りの柱が印象的な武雄温泉の楼門が出迎えてくれた。そう、駅名の通り、武雄温泉駅は温泉街なのである。
武雄温泉の歴史は実に古い。なにしろ、奈良時代に編纂されたと伝わる『肥前国風土記』にも記されているほどだ。豊臣秀吉の朝鮮出兵の折には出陣前の大名たちが入浴し、江戸時代には領主武生鍋島氏専用の浴室も設けられたという。
また、温泉街の真ん中を長崎街道が貫くようになり、街道をゆく旅人たちにも愛された。シーボルトや吉田松陰も、武雄温泉の湯を使ったというから、なかなかの名湯である。明治以降も、佐世保線沿線には軍港・佐世保や炭鉱の町もあり、そこで働く人々の疲れを癒やしたのだろう。
東京駅と同じ設計者のしかけた“ギミック”
で、例の楼門は大正時代のはじめに建てられたもので、設計したのは東京駅と同じ辰野金吾。なんでも、東京駅にあるレリーフの動物と武雄温泉楼門にあしらわれた動物をあわせると、十二支が完成するのだとか。
辰野金吾がどういう意図でこれを仕込んだのかはわからないが、ちょっとした遊び心だったのかもしれない。いまや武雄温泉新館とともに国の重要文化財にも指定されている。
それだけの著名な温泉なのだから、なかなか活気に満ちているのではないかと思ったが、温泉街をゆく浴衣姿の観光客もおらず、日帰り湯を使っても地元のおじさんが汗を流しているばかり。時期が悪いのか、タイミングが悪いのか。大きな旅館もいくつかあるわけで、たくさんの人で溢れることもあるのだろう。