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蘭学の町と明治維新

 武雄温泉という古代からの名湯を持つ武雄の町は、経済的に恵まれていたからなのかどうなのか、武雄鍋島氏の支配の下で、なかなか先進的な町だったという。

 特に幕末期に武雄領主だった鍋島茂義は積極的に蘭学を導入した。オランダ語で書かれた本も収集し、いまでも138冊も蘭学関係の書物が残っている。さらに日本でも最初期に種痘を成功させたり、洋式大砲を製造したり。長崎と近いという地理的な条件もあったのだろうが、幕末期の武雄はもしかしたら日本で最も先進的な町のひとつだったのかもしれない。

 

 武雄温泉駅の町を歩いても、そうした先進的な町の面影を感じることはほとんどない。むしろ、どちらかというと静かでのどかな温泉地。駅のすぐ目の前にはかつてはお城があったという小さな山があり、周囲には住宅地が広がっている。駅というよりは、圧倒的に温泉を核にして発展してきた町だからなのか、駅前の賑やかさは他の新幹線ターミナルに比べればまだまだ小さい。

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 今後の見通しはまったく見えない西九州新幹線だが、少なくとも武雄温泉の町にとっては西九州新幹線の開業は実に画期的なできごとなのは間違いない。

 

 これまでも博多方面に特急「みどり」が出ていたが、「リレーかもめ」になって運転本数は圧倒的に増えた。さらに、長崎と30分で結ばれるようになり、長崎観光とともに訪れる人も増えるだろう。

 日本の近代化の先を進んだ武雄の町と、古代から知られる名湯の地。それがますます知名度を向上させるには、いまこそ最大のチャンスといっていい。が、そのためにはもう少し西九州新幹線、盛り上がらないといけないような気がしますが、いかがでしょう……。(#2に続く)

写真=鼠入昌史

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